確率の概念って本で理解できるものではないんだよね。

いつから確率の概念を理解できるようになったのかを思い出してみても、思い出せない。

小学校の低学年の時に、少年漫画の懸賞を欲しくてハガキで応募したんだけど。

宝くじと同じであんなものは当たるはずがないから、その時は確率の概念が全くなかったんだと思う

大学時代は、医学部辞めてプロ麻雀でやっていこうと思ったぐらいだから確率の概念は理解していた。

大学受験の時は、今考えると確率を全く理解していなかったんだなって思う。

サイコロの目が出る確率が、それぞれ1/6ってのは確率じゃないよ。

それが理解できたからといって確率が分かったわけじゃない。

サイコロの目が続けて同じ目が出る確率が分かることも、確率が分かったことにはないないよ。

その確率であることが起きた場合、何を失って何を得るのかを分かることが確率を分かるってことなんだよね。

失うものは命なのか、時間なのか。

得るものは100円なのか、1000万円なのか。

サブプライム危機の時、それまで誰がリスクを誰に押し付けてリターンを得ていたのか?

それがサブプライム危機が起こる前に分かることが、確率を理解すること。

サブプライム危機前には、サブプライムローンってことも知らなかったので俺には分からないけど。

自分がいる医療業界なら、サブプライム危機と同じで誰が誰にリスクを押し付けてリターンを得ているのか分かっているつもり。

勿論、何かと聞かれて自分が押し付けていることは言えないけど。

その歪みが是正されることは、個人的には得じゃないし。(国民的には得だけどね)

おわり。