整形外科医のゆるいブログ

一応,現役の医者です。 ユルイ日記ですが。 ヨロシク<(_ _*)X(*_ _)>ヨロシク。

2016年03月

セミリタイアの本当の意味

これは結構深い話なんだけど。











twitterの2人は自営業で、俺も包丁一本サラシに巻いての流れの外科医だから分かるんだけど。

40代で2,3億は金融資産を貯めて、セミリタイアするって生き方が全ての職業で定番になることは鉄板少女アカネ!!

公務員にはそんな感覚はないだろうし。

軌道に乗っている開業医なんか50代、60代とより一層稼ぐことになるんだろうけど。

でも日本がデフォルト起こしたら、公務員の人生設計なんか簡単に吹っ飛ぶし。

半公務員の開業医なんかの営業基盤も吹っ飛ぶ。

これからリストラされるシャープや東芝のエリートも、入社時にはこんな時代になるとは思わなかっただろうな。

2,3億の金融資産で悠々自適にはならないけど、一部上場企業のエリートサラリーマンの生涯年収が3億円なことを考慮すると、余程のことがない限り、車を持って、子供は2人ぐらいは私立文系に奨学金無しで入れられて、毎年海外旅行に行けて、毎週外食できるレベルの生活は出来る。

そして50代、60代はトップスピードまで上げた状態を少ない労力で減速しないように(全盛期の6-8割の力加減で)生きていくのがストレスが無い良い人生になると思う。

年収1000万以下の場合は、今までどおり時の流れに身をまかせるしかないと思うけどね。

年収1000万以上稼げる人は、年収3000万にならないか一度試行錯誤してみると良い。

年収3000万稼げると、普通の生活(ベンツ乗って旅行に行っても)をして年に1000万が貯まる。

運用しなくても10年で1億、20年で2億、30年で3億貯まる。

年収1000万でリスクを取らない生き方が日本では正解だとされてきたけど、年収3000万にトライするリスク取ったほうが期待値が高くなるケースは多くあると思うよ。

嫁ブロックって言葉があるみたいだけど。

嫁ブロックする嫁と結婚することほどの不幸はないよな。

性格の問題じゃないよ。

大企業勤務のエリートサラリーマンの嫁っていう記号しかない女の悲しさ。

そんな相手としか結婚できなかった男の悲しさ。

それでもサラリーマン生活が順調なら我慢できるけど、シャープみたいになったら即効で鬱になるね。

そうならないように準備するのが知性だよ。

一流大学から一流企業に入るのも努力。

一流企業で独立できるように力を蓄えておくことも努力。

嫁ブロックするような女とは結婚しないように婚活することも努力。

おわり。









ショーンKとマネーショートからインスパイアーされて良い案が浮かんだ










時の人であるショーンKは皆よく知っていると思うけど、マネーショートの方は知らない人も多いかも。

マネーショートの原作である世紀の空売りに慧眼で隻眼の医者が出てくる。
(映画は見ていません、原作のみ読んでいます)

この医者はアスペルガー症候群なんだよね。

話をショーンKに戻すと、これって漫画のドクターKのパクリなの?と思うけど。

整形外科のゆるいブログという匿名ブログをバージョンアップして、ショーンKばりの経歴詐称ブログを書くのはどうかと思っている。

イメージとしては灘高卒で東大理三の医師、卒業と同時に外資系金融機関に勤務。ハーバートビジネススクールでMBAを取得。

ハロー効果を期待して恋愛ネタを書くの。

内容は今までと変わりないと思うけどね。

でもショーンKは笑えたな。

経歴詐称はよくある話だと思うけど、顔までイジってるなんてね。

自分の手札で勝負するしかないって何度も書いているけど、手札をどう切るかの努力は一切せず手札を偽装する方にだけ努力する人達が多いよな。

嘘が悪いとは言わないけど、嘘で始まるとその後どれだけ努力しても今までの実績がオセロのようにひっくり変える可能性がある。

そういう教訓にはなったね。

おわり。


恋愛、女性ネタは削除しました。

事情により、カテゴリーの恋愛枠は削除しました。

違う場所で「会社経営者のゆるいブログ」あたりでやりましょうかね。

縁があれば、整形外科医のゆるいブログファンの皆さんまた会えるかもしれません。

その他は継続。

おわり。

Dr.コトー的外科は本当に終わったのか?




Dr.コトー診療所ってテレビでも漫画でも見てなかったので、外科医の話だったんだな。

呼吸器外科医が、自分で麻酔をかけて大動脈瘤、大腸癌の手術をする。

今の時代、外科医の世界は細分化、細分化、細分化。

医者にとってのリスクヘッジなんだろうけどね。

俺もDr.コトー的なオールド外科医だわ。

自分で麻酔をかけて、脊椎のオペ、鏡視下のACL再建、THA,TKA、骨盤以外のすべてのタイプの骨折の手術、形成的な手術やってたわ。

今はやってないけど、呼吸器外科が腹部外科や循環器外科の範囲をやるのに比べるとDr.リトルコトーかな。

医者の世界じゃ、何でも出来る医者は何も出来ない医者ってのがあるんだけど。

すべての患者が、大学病院、専門に特化した病院にて最高レベルの手術を受けられるわけじゃないんだよね。

それなりの値段で、それなりのレベルの寿司やうどんやラーメンやカツ丼が出てくる街の定食屋が必要なように。

Dr.リトルコトーの存在意味が無くなったわけじゃないと思うけどな。

田舎にはDr.リトルコトーが必要なのは言うまでもなく。

都会にだってDr.リトルコトーが必要な患者が一杯いるんだよ。

それに特化した医者が俺だわ。

おわり。










離島医療を題材にした漫画・ドラマ「Dr.コトー診療所」のモデルとなった、鹿児島県薩摩川内市下甑町の手打診療所長、瀬戸上健二郎氏が2月19日、川崎幸病院(川崎市)で講演した。

 瀬戸上氏は、38年間に及んだ下甑島での診療について、「離島の診療所で食道がんや大動脈瘤なども手術した。そんなDr.コトーのような外科医は、地域住民に支えられていた」と振り返り、「医療は時代とともに変わった。私自身も変わり、住民の気持ちも変わった。20世紀のDr.コトー的外科は終わったと思う」と述べ、離島医療で求められる医師像が変わりつつあると指摘した。

 川崎幸病院では、初期臨床研修の2年次プログラムとして、手打診療所で1カ月の地域医療研修を導入。2016年1月から研修医を派遣している。2月19日は、川崎幸病院の臨床研修センターが「離島研修報告会」を開催し、1月に手打診療所で研修した青盛恒太氏と、2月から診療所で研修中の伊藤弥氏(テレビ電話で中継)が手打診療所での経験を報告。その後、瀬戸上氏が『島酔38年〜島に学び、島を楽しむ〜』と題して講演し、病院の関係者ら約50人が聞き入った。

「島酔」で38年

 「手打診療所」は、鹿児島県薩摩半島の北西部、串木野港(いちき串木市串)から沖合約50km、甑島列島の最南端、下甑島にある。本土からは1時間半の高速船、3時間ほどの貨物船が結ぶ。鹿児島大学第一外科を退局した瀬戸上氏が着任したのは、1978年5月。開業するまでの6カ月間の約束で誘われた。当時37歳だった。

 講演タイトルの「島酔」という言葉は、南西諸島でよく使われる言葉で、「酒に酔うみたいに島に“酔って”、時が経つのを忘れてしまうこと」。6カ月の約束だったにも関わらず、「気がつけば」(瀬戸上氏)38年もの間、下甑島で診療を続けていた。

 赴任した時の診療所は、医師1人、看護師2人、事務員2人の体制。6床の病床があったものの、給食も寝具もなく、麻酔器もなかった。「島で手術ができるのか、住民も医師も不安だった」。大学病院の呼吸器外科医として、数々の外科手術をこなしてきた瀬戸上氏も、赴任当初は手術を断られた。

 住民が望まなければ、手術はできない。「島に行けば大歓迎されるけれど、それはイコール信頼ではない。信頼関係は簡単にはできない。実績を示しながら時間をかけて作り上げていくものだ」。

島の診療所で肺がん手術も

 行政の支援を得て救急体制や医療機器を整備しながら、実績を示して住民と信頼関係を築いた。簡単な盲腸の手術から専門の肺がんの手術以外に、島で勉強しながら帝王切開、重症外傷、食道がんや食道静脈瘤の手術まで手がけた。「先生に手術してほしい」と、患者が都会から島に戻って手術することもあった。

 手打診療所の医療提供体制は充実した。1990年には人工透析、1996年にはCTを導入。今では病床数19床で、医師1人、看護師13人を含む26人のスタッフがいる。島内には3カ所の診療所があるが、入院施設があるのは手打診療所のみ。24時間365日対応の体制を38年続けてきた。

 今年で75歳を迎える瀬戸上氏。「もう手術はしない方がいい」と考え、手術件数を減らしている。それでも、ヘリが島に近づけない場合など、必要な時は迷わない。昨年10月にも大腸穿孔の患者を手術したばかりだ。


瀬戸上氏が講演会で示したスライドより。
Dr.コトーの「終焉」

 漫画やドラマで描かれた天才外科医、「Dr.コトー」は大きな反響を呼び、医師を志すきっかけになった人も少なくない。しかし、瀬戸上氏は、「20世紀に花開いたDr.コトー的外科は、残念ながら、終わってきているのではないか」と話す。

 「Dr.コトーは外科的な活躍がメイン。離島診療所で食道がんも大動脈瘤も手術してしまう。これがDr.コトー的外科医。自分で見つけ、自分で麻酔し、自分で手術する。今では非常識と思われるかもしれないが、それが当たり前だった。このDr.コトー的外科というのは、日本で開花した20世紀の外科の“花”だと思う。それを支えたのは地域住民。地域住民が認めてくれたからできた」

 38年で島は大きく変わった。過疎化が進み、1970年代には約1万人いた下甑島の人口は2500人程度に減った。「人口が減り、地域の力が落ちている。離島医療もある程度人口があると面白いけれど、減ると面白さは半減する」。

 人々の意識も変化し、島の医療の在り方も変わってきた。「日本は非常に豊かになった。離島も豊かになった。それと同時に大病院志向や専門医志向も進んできた。疾病構造も変化し、心筋梗塞や認知症が増えた。在宅死から入院死、在宅出産から入院出産へと変わってきた。新たな感染症も増えた。時代とともに医療はどんどん変わる」。

 医療技術の進歩も目覚ましい。「つい最近まで、40年前に学んだ外科とほとんど変わらないと思っていたが、最近徹底的に変わった。もう我々の時代は終わった、引導を渡された。特に今日ここの病院を案内してもらいながら、そう思った」。

「終わりではない」

 しかし、「それで終わりかというと、終わりではない」と瀬戸上氏は続ける。「年を取ってみないと分からない面白い世界もある。外科医の経験を生かした面白い役割分担もできる」。若さや高い技術だけではない、円熟した医師の自信を覗かせる。

 最後に、1983年に手打診療所で肺がんの手術をする自身の写真をスライドで写した。「何が一番変わったのか。この時は眼鏡をかけていないが、今は眼鏡をかけても見えない。これが一番変わったこと。つまり、38年で色々なことが変わったが、一番変わったのは自分なのかもしれません」。

伊藤美誠はすごい。




昨日の卓球世界選手権を見て感じたんだけど、この子は凄いよ。

普段、卓球を見ないから詳しくはないんだけど、福原愛や石川佳純とは全然違う。

ちょっとググッて見たんだけど、伊藤美誠と福原愛が前陣速攻型で石川佳純がドライブ攻撃型。

よく分からん。

伊藤美誠の体型はまだ中学生3年生だからかお笑いタレント系の体型なんだけど、スマッシュが大谷翔平が160キロを投げるように腕がしなり躍動しているの。

プロ野球の世界で、ダルビッシュが出てきてマー君そして日本産最高傑作大谷翔平が出現したように。

卓球女子も、福原愛が出てきて石川佳純そして日本産最高傑作の伊藤美誠が出現。

明日(3月6日)は中国との決勝。

多分簡単に負けるんだろうけど、東京オリンピックでは伊藤美誠は個人では金メダルかもしれないな。

素人が見ても彼女の凄さが分かるから。

マジで注目の選手出現。

おわり。

医学部での勉強生活

現在 地方国公立医学部か 東工大かで進路にとても悩んでいます。我が家は父母共働きで世帯収入500万未満の家庭で
上の兄弟は奨学金などを活用しながら医学部に通っております。お金に苦労した我が家の方針としてはとにかく子供に堅実な道を歩んで欲しいということで、その結果として医学部ということです。当然ながら自分もそのような道に進むべきなのでしょうが、どうも踏ん切りがつかないのです。
上の兄弟が医学の勉強をしているのを見ていても、正直、
"クソつまんないなぁ" と感じてしまうし、"自分は意志もなくこんなに頑張れるのだろうか" と考えてしまうのです。かといって東工大などに進学したとて、凡庸な人間として埋もれていくのは目に見えてます。自分のように平凡な能力の人間の場合、経済面で言えば医者として生きるほうが遥かに確実なのは自覚しているつもりです。金のために医者か、などという人間もいますが、自分は金のためなら医者を取ります。
つまり、自分の能力は中途半端なくせに、金はそこそこ欲しくて、かと言って気が向かないことはやりたくない、というクソガキなのです。
ぜひ、喝なりなんなり入れてください。


30年前の話だから、よく覚えていないんだけど。

でも覚えていることは下記の3つ。

―拌耆夙学校での勉強は、人生で唯一勉強(学問)がこんなに楽しいのかと思った時期だった。

医学部の基礎の勉強は本当に糞つまらなかった。

J気弔泙蕕覆な拔の中でも解剖学をラテン語で覚えるとか本当に意味不明。

学生時代は医学部創立100年の歴史でお前ほどの馬鹿はいないと、教授の呼ばれて怒られたのは僕です。

留年した学生にこんな厳しいことを言うなんか、今ならパワハラ、アカハラだよな。

まあ、授業は出ない、成績は悪い、試験はカンニングという医学部の馬鹿三冠王だったから教授が怒るのも当たり前なんだけど。

臨床の勉強になったら面白くなるかと思ったら、大して面白くなかったな。

学生時代は何度も何度も医学部に入ったことを後悔した。

医者になったら、医者の仕事が楽しくなると思ったんだけど研修医の時も面白くなかった。

研修医の時は指導医がついているからね。

医学の勉強自体は今でも面白いと思ったことはないけど、一人当直するぐらいから真剣に勉強を始めたよね。

学生時代、研修医時代は馬鹿でも問題ないけど、医者が馬鹿だと患者が死ぬからね。

医者の馬鹿は犯罪と一緒。

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医学の勉強が面白くはないけどそれなりに楽しくなってくるのは、専門医を取って自分で執刀してその責任を自分が負うようになったぐらいからだよね。

術式を自分なりに工夫するために論文読んだりね。

俺の年齢になると楽しかった手術の勉強もまた億劫になってきた。

手術件数はなるべく少なく、外来患者もなるべく少なく、病棟の患者もなるべく少なく。

でも給料は今までどおり頂戴。

お布施も今までどおり頂戴って感じだよ。

若い時は女のバンツを脱がすことにあれほど頑張ったのに、今じゃパンツ脱いでこられても迷惑だしね。

勉強もセックスも年齢によって、感じ方が変わるんだよ。

質問が東工大と地方医学部のどちらが良いかって話だったね。

普通この手の質問は、東大理一、理二と地方国立大医学部のどちらが良いかって話が多いから。

偏差値的には駅弁大学医学部か東工大かって話だよね。

古くからある医学部は偏差値も高いけど、その街自体が栄えている所が多く、学生生活も充実しやすいんだけど、駅弁大学医学部は悲惨な所が多いからね。

学生時代のゴールデンタイムをド田舎で過ごすのも嫌だな。

浪人生です。さんが医学部に入って専門医を取る15年後、医者の労働環境がどうなってるか分かんないよ。

今はクソ医者も優秀な医者もどちらも定額制だけど、15年後には能力給かもしれないよ。

女医が増えてるから、医者失業時代にはならないと思うけど。

勉強が楽しいかどうかより、自分自身の適性は?

地頭は良いの?

コミュニケーション能力は?

手先は器用なの?

バックグランドは?

所謂良い医者になれるの?

親が貧乏だとアカデミックの世界に残れないから、場末病院で勤務医やることになると思うけど、適性がないのに医者続けるのは結構辛いと思うよ。

だったら、東工大から安定企業で一生安泰の方が良いかもよ。

大学生生活は4−6年だけど、サラリーマン生活は40年続くんだよ。

どちらが良いかは自分でよく考えて決めたほうが良いよ。

ちなみに俺が今18歳に戻って、東工大か駅弁大学医学部なら駅弁大学医学部かな。

20年後に、一部上場企業の雇われ社長より稼げる勤務医になる自信があるからね。

30代で一部上場企業の社長にはなれないでしょ。

おわり。














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