「男女平等」が徹底された北欧でも、出産後しばらくは家で子育てをし、保育施設に預けて共働きするのは1歳児からというのがふつうです。しかしこれは、「ママがいいに決まっている」からではありません。ゼロ歳児保育のコストがきわめて高いため、育休期間にそれまでの給与の10割を支給するなどして、家庭に保育を代替させているのです。
こうした事情は日本も同じで、もっとも「手厚い」保育が行なわれる認可保育所の場合、ゼロ歳を預かる費用は東京都の平均で月額40万円、年480万円です。それに対して平均的な保育料は月額2万円強で、差額はすべて国や自治体が補填しています。「子どもを産んだ女性に一律毎月30万円払ったほうがマシ」という異常なことになっているのです。


今から50年前のお話。

産まれてから6週間で無認可保育園に預けられた成れの果てが俺。

育児休業制度なんか存在しない時代のお話。

強烈に恥ずかしかった記憶だけが残っている。
(勿論、ゼロ歳児の記憶は残っていないよ、小学校低学年の話)

その当時は、「共稼ぎ」、「鍵っ子」ってのは貧乏人の代名詞だったんだよね。

母親が家にいない寂しさではなく、そんな貧乏な家に生まれ育つ自分自身が恥ずかしかった記憶がある。(何で俺は学童保育に預けられているんだ?という感じ)

そんな家庭でその当時は都内でも珍しかった中学受験をさせられて。

星一徹方式かと思っていたら。

ある程度物心がついてみるとそんな貧乏な家庭ではなかったことが判明。
(当然金持ちでは全然ないけど)

そういう意味では、医者の幼少期あるあるとは全く違う幼少期を過ごしたのがゆるい整形外科医の原点。

でも幼少期の体験が、貧乏は恥ずべき事であり、そこから逃げ出したい、成り上がりたいというのが人生における最大のモチベーションになっていたのかもしれないな。

この当時の好きな言葉が矢沢永吉の「成りあがり」のこのフレーズ

「俺の家が貧乏なのは親の代が負けてだけで、俺が負けたわけではない」

矢沢永吉はカッコいいなと思って記憶がある。

今となっては、「成りあがり」もゴーストライターが書いたという話も聞くけど。

まあ結果オーライだな。

おわり。