整形外科医のゆるいブログ

一応,現役の医者です。 ユルイ日記ですが。 ヨロシク<(_ _*)X(*_ _)>ヨロシク。

2011年10月

おサイフケータイ

今使っているExpediaで初めておサイフケータイって奴を使ってます。


なんと便利なんだろう。


僕はアンチ小銭派なんですけど。


おサイフケータイで、小銭入れを持たない生活も夢じゃない。


マツモトキヨシのポイントも、ビックカメラのポイントも。


このおサイフケータイで管理できる。


ポイントカードも財布が厚くなるから持たない派だったんだけど。


これなら貰えるポイントは、貰う派に変更しよう。


おサイフケータイを支えるFeliCaというシステム。


ソニーはこれもディファクトスタンダードを取れずに負けたんでしょう。


ソニーは何やってるんだろうね。


バイリンガルの威力

知り合いの韓国人の医師。

この先生は、韓国語と日本語を話し。

そして韓国と日本で医療行為を行うことが出来る。

この先生は子沢山で、子供がアメリカに留学したり医学部に入ったりと。

金が必要らしい。

そして今のウォン安と円高。

韓国で医者やるよりも、日本で医者をやった方がウォンベースでは圧倒的に得になる。

現在、世界最強の通貨である円はドルに対しもユーロに対して強い。

子供がアメリカの留学していても、ヨーロッパに留学していても。

日本円は良いよね。

これからの不安定な世の中で。

バイリンガルであり。

かつ2カ国以上で医師免許などのランセンスを持つことは。

その人の人的資本は、本当に安定化する。

モノリンガルのダブルライセンス(医師免許と弁護士)など目指すよりは。

バイリンガルでバイラテラルなライセンスだと思うな。

そういう子供のなってほしいと願っても。

医者程度にもなれない馬鹿じゃ、バイリンガルでバイラテラルライセンスなんかは夢のまた夢だし。

バイリンガルを目指したら、どちらの言語でも抽象的な思考が出来ないダブルリミテッドhttp://ja.wikipedia.org/wiki/多言語じゃ話にならないしね。

結局、トップ1%しか希望が持てない世界じゃなくて。
http://ameblo.jp/randtkikaku/entry-11051630925.html

トップ0.01%しか安定、安心できない世界なんだと思うな。

じゃあ、それ以外の人間はどうするかって言えば。

やっぱり家族なんだろうな。

核家族ではなく、昔の大家族。

親戚付合いもするようなね。

歴史や時代は繰り返すしね。

そういう世界に戻っていく気がする。

新65期司法修習生の募集

俺もこの人の考え方に共感する。


俺も一緒に働きたい人は、酒が飲める人。


俺は単なる勤務医だけど、今の病院の整形外科の人数を増やすって話があって。


院長からはどんな人が良いかと聞かれて、まじめに答えているけど。


酒飲めない感じのドクターは難癖つけて、断ってるしな。


学校歴は興味ないけど、自身の客観的な位置づけと主観的な位置づけがずれている人は嫌だね。


過払い金の裁判しかないんですかってのは、卒後10年目ぐらいの大学病院の感覚が抜けない医者が言いそうなことだな。


場末の病院には場末の大変さと面白さがあるんだけど、そういうことが想像できない頭の悪さが嫌だね。


あと、オーナーシップがない奴は嫌だね。

勤務医といえども、医者ってのは個人事業主だからな。


あと綺麗事ばかり言う奴は。


医療は金じゃないんだけど、民間病院は採算が合わなければ存在できないというそういう単純なことが理解出来ない頭の悪さが嫌。


雇用と競争についてhttp://blog.tatsuru.com/

確かに頭の良さとか能力っては、個性で。


必ずしも個人の努力の結果を示すものじゃなくて。


30年ぐらい前までは、教育界では結果よりプロセスが重視されていたよね。


俺はクラスの和を乱し、努力もせずに成績だけは良い派だったから、内田樹のような教師からは嫌わていたけど。


俺もアンタのような教師は嫌いだったよ。


お前のような奴はろくな人間にならないとよく言われたけど。


確かに、30年以上たった今。


その時の教師の言うことは正しかった。


現実にろくな奴にはなってないしね。



http://www.legal-aid.jp/saiyou.htm

吾輩は修習生である。仕事はまだ無い。どこで働けるかはとんと見当がつかぬ。

新65期司法修習生の募集

 新司法試験合格おめでとうございます。
 弊所では、新65期予定者を募集しています。


募集人員

1名


事務所見学を希望される方

履歴書(写真貼付。司法試験順位明記)をsaiyou@legal-aid.jpへ送って下さい。


勤務条件

勤務時間 ; 9:00-18:00
休日     : 原則週休2日、祝日、夏期休暇、年末年始。
交通費   : 原則全額支給
年俸    : 委細面談
会費    : 全額負担
個人事件 : 可


業務内容

債務整理と一般民事


求める人材

  • 責任をもって仕事をする方
  • 仕組みを作成し、仕組みを改善できる方
  • 積極性がある方
  • 飲み会の好きな方
  • スタッフを見下さない方
  • 事業家としてのスピリットを持っている方

FAQ

年収はいくらですか

 昨年度は固定給700万円+歩合制です。
 しかし、今年度の固定給は下げます。

下げる理由を教えて下さい。

 新司法試験になってから、良い人材は極めて少ないというのが率直な理由です。
 一昨年に入所して頂いた東大ロー在学中に旧司法試験に合格した女性の方は、事務所に入った瞬間から戦力として仕事をしてくれました。
 今思うと、これが採用活動を真剣に考えなくなった発端だったと思います。弁護士だったら学歴や順位などに関係なく、誰を採用してもこのくらい出来て当り前なんだろうと思ってしまいました。

 しかし、昨年度採用した新司法試験合格者については、全く話が変わりました。
 債権者の「川崎市信用保証協会」を見て、「これは何ですか!?ヤミ金ですか?!」と言って、相談者から失笑を買った辺からおかしいと気がつくべきだったのかもしれません。
 事務所に慣れてきた頃から、裁判をすっぽかす、無断で減額して和解を成立させる、最終準備書面を書かない、土曜相談は絶対にやらない、など予想を超えるものがありました。
 広告を出して集客しているのに、「法テラスに行って下さい」と物損の相談者を追い返していることが分かった時にはため息が出ました。理由はどうも交通事故のやり方が分からないからのようです。
 極めつけは、被告側の裁判なのに、裁判官が請求の認諾を強く要求したからという理由で、請求を認諾して裁判から帰って来たこともありました。

 事務員から「さすがにもっといい人材いるでしょ。あの程度の人しか採用できないあなたも悪い」と言われたりしました。一名については入所して間もなく、事務員の多数から辞めさせて欲しいと頼まれました。
 この頃から、採用活動こそが事務所の明暗を握っていることを痛感しました。
 なぜ有名な法律事務所が人材を青田買いするのかもよく分かりました。

 採用活動の失敗を経て、新64期の面接は、交通費を往復で全額負担して、時間を掛け、複数回の面接を行い、吟味して選ぶことにしました。
 しかし、面接をすればするほど、本当に良い人材は極めて少ないなと感じました。

 「横で見て勉強させて下さい」という研修所の延長と捉えている人が本当に多いと感じました。収益を上げることや集客をどうするかなどの話をしても、全くうわの空で会話が成立しません。
 また、「色んな事件がやりたい」「弁護団事件に参加していきたい」というお決まりフレーズで「やる気」をアピールする点も同じです。
 ただ、採用する側が興味があるのは、新人弁護士が「色んな事件」をやって、「弁護団事件に参加」して、『事務所の収益にどう貢献できるのか』でしかありません。
 事務員の採用で似た印象を思い出したところ、新卒の採用と全く変わりがないことに気がつきました。
 大学、大学院、研修所をストレートで来ているので、気分は新卒なのかも知れません。

 もちろん、中には事業者としての心構えをしっかり持っている人もいました。しかし、ごく稀にいるその「良い人材」は本当に取り合いになっていると思います。一部の「良い人材」が複数の内定を取り、少なくない人が内定が全く取れないということが普通に起こっています。

 皆さんは新司法試験に合格して横一列で同等と考えているかも知れませんが、合格者の質は巷で言うとおり、相当バラつきがあります。質にバラつきがある以上、一定期間働いてもらった後に昇給という形を取らないと、能力が低い人に高い給与を払ってしまうことになり、お客さんに対する背理になってしまうと思います。

採用されない基準を教えて下さい。

 採用をお断りする基準。
 その1。自身の客観的な位置づけと主観的な位置づけがずれている。
 こういう人は、入所してもらってもこの事務所に不満を持つと思うので、一律お断りすべきと思っています。
 学歴も成績もパッとせず、大学時代に受験勉強以外で何の実績もないのに、ブランド事務所志向や老舗事務所志向の方がかなり多いという印象を受けています。
 そもそも、自分の評価と所属する職場の評価が一致すると思っている時点で、考え方が合いません。
 ちなみに、就職できない人というのは、例外なく、自身の客観的な位置づけと主観的な位置づけがずれている人と思います。いわゆる高望みというやつです。

 その2。こだわりが多い。
 こういう人は本当に一緒に仕事がやり難いです。
 零細企業に就職をするということは、他人の家にお邪魔するのと同じです。事務所は入所する方の家ではなくて、事務所の主の家です。他人の家では客として振る舞う心構えが欲しいところですが、こだわりが強い方にそういう気配りはまず期待できません。
 特に、住む場所に固執する方は非常にやり難いです。知恵を絞って売上をあげることができない人は、淘汰されるか、住む場所を変えて弁護士が少ないところに行くしか方法がないのです。それでも住む場所に固執をするというのは、自立できておらず、事務所の主に寄りかかっているだけということに気がついてない点が問題だと思います。

 その3。あれもやりたいこれもやりたい。但し、自分ではやりません。見学させて下さい。
 研修所の延長で最初の一年は事件を横で見るだけを期待している人が相当数いることにいつもがっかりします。仕事をして世の中に貢献して、その対価としてお金をもらうという当り前のことが分かる人とだけ仕事がしたいと思います。この事務所には横で見ているだけの仕事を許容する余裕はありません。 ということは、最初の最初から、自分で事件を引っ張ってきて、着手金をもらって、自分の責任でやることが期待されます。色々な事件をやりたいなら色々な事件は自分で引っ張ってくる必要があることを自覚する人でないと一緒にやるのは難しいです。色んな事件が空から降ってくるとでも勘違いする人は採用をお断りしています。

 その4。過払い金の裁判しかないんですか。
 事務所には法人受任案件としての過払金裁判しかないというと、ドン引きする人が少なくありません。そして、仕事の幅が狭くなると勘違いする人がいます。こういう考え方の人は基本的にお断りしています。
 なぜかというと、そもそも考え方において、間違っているからです。弁護士が一人で捌ける裁判は20件くらいです。この20件で全ての裁判業務をまんべんなく経験することが無理というのは、ちょっと頭の良い人であればすぐに気がつくことです。
 ということは、仕事の幅を広くするには、裁判外の学習でしかあり得ないのです。
 そもそも、心の底から本当にやりたい仕事があるのであれば、その人は必ずどんな環境でもやると思います。事務所を飛び出て、自分で独立してやってしまうと思います。他人の庇護の下でやりたいことなどたかだか知れているのではないでしょうか。

採用される基準を教えて下さい。

 どこかの事務所に入るということは、「就職」ではなくて、「共同事業を営むこと」であることを理解している人。
 もっというと、経営というのは基本的に「戦争」であることを理解している人。
 戦争である以上、背後から背中を刺す人は信用ができないし、信用できない人とは一緒に戦えないのです。
 もっというと、仕事は「ゲーム」であり、楽しくない人とは一緒に遊べないことが分かる人。

望む人材像を教えて下さい。

 能力の点では、即独ができる方。
 自分のことは「優秀」と思っているのに、そういう人に限って、自分で事務所立ち上げてやる自信がないというのは非常に滑稽だと思います。
 即独できる人とそうでない人はどっちが弁護士として「優秀」か、よく考えてみましょう。

 次に、事務所が好きになってくれる方。
 初年度の弁護士は、売上を上げるわけでもなく、組織にとって必要不可欠な存在では全くありません。
 いわゆる代替性の効くコモディティです。
 なのに、事務所の掃除は全くやらない、事務所の飲み会には参加しない、挨拶はしない、威張る、、、、弁護士ってそんなに偉いんですかねえ。尊大な態度を取るのは莫大な利益をもたらしてからにして欲しいものです。
 法律事務所は単なる働く場です。事務員や弁護士が一日8時間一緒に過ごす小さいな社会です。みんなと仲良くやっていける人とだけ一緒に働きたいです。

どんな事件ができるんですか

 いわゆる一般民事や刑事などの町弁業務はそもそも弁護士会から配点されます。手持ち案件の比率は債務整理半分、自分の事件半分になってくれるとよいと思っています。

自分の事件をやる時間はあるんですか

 あります。
 むしろ、問題は新人弁護士にやる気があるかどうかの方が大きいと思います。
 去年採用した弁護士は一般民事の相談に行って事件の受任に至っているのを見たことがありません。
 売上が一番多い人は、相談に行けば必ず受任をしてくるし、知人から事件の紹介を受けています。そして、どうしてそんなに知人がいるのと聞きたくなるほど知人がいます。


最後に

 昨年度の弁護士の就職は相当難しかったようです。
 今年はもっと難しいことが予想されます。
 就職は、基本的に早い者勝ちであることと、売れ残りは必ず買い叩かれるのは知っておきましょう。
 最後の最後に就職先が決まっても、それでは既に負けているのです。

 昨年度の就職状況を見て、思ったことは、採用が決まらない人のほとんどは「他人と差別化ができていない」ということに尽きると思います。
 
 この事務所では、「何をするか」以上に「誰とするか」を重視しています。
 この事務所に全く興味がないのに、就職がないから応募している人や、数分の面接を乗り切れば仕事にありつけると思っている人は真っ先に排除します。
 探している人材は、事務所のみんなと価値観が合って、楽しくやっていける特別な人です。
 ここで「特別な存在」とは別に優秀とかそういう意味ではありません。頭が異常に切れるけど、事務所と距離を置いて飲み会にも来なかったり、事務員を見下したりする人と、ちょっぴりお馬鹿さんだけど事務所のメンバー全員と仲良くやってくれて、事務所のことが好きになってくれる人であれば、後者の人と仕事がしたいのです。
 言われたことを最小限にやるだけでは不十分と考えていて、気配りができる方と仕事がしたいのです。
 自己研鑽は自己責任であること、自分の仕事は自分で取ってくることを自覚している事業家とだけが仕事をしたいのです。
 そういう意味では、学歴は問いません。司法試験の成績順位も問いません。しかし、弁護士になりたい人と仕事がしたいわけではありません。人一倍賢いだけの人と仕事がしたいわけではありません。本当にこの事務所で事務所の人達と一緒に働きたい人、その人とだけ働きたいのです。

 一緒に働けてよかったと将来思える人が応募してくれれば、これ以上の喜びはないです。


事務所構成

弁護士3名
司法書士2名
行政書士資格保有者2名


「トップ1%にしか希望のない世界はおかしい!」は正しいか?

最近ボケまくっているチキリンおばちゃんにしては、今回のブログは良いじゃんね。

俺は常々思っていることがある。

世の中に、正しい事や悪い事。

つまり正義や悪ってのは存在しないと思っている。

世の中にあるのは、二つだけ。

損得と勝負(勝ち負け)だけ。


損得と勝負を考えれば、次の時代のルールは自ずと決まってくる。

「トップ1%にしか希望のない世界はおかしい!」は正しいかじゃなくて。

「トップ1%にしか希望のない世界」が損得と勝負のふるいで残ったんだよ。

あるいは勝ち残りの最有力候補。

99%と1%の戦いじゃ、99%が一見勝ちそうだけど。

でも、デモをする人たちって下10%ぐらいの人たちで。

上位2%から90%の人達って、納得できない「トップ1%にしか希望のない世界」を変えるより自分自身のためには「トップ1%にしか希望のない世界」の中で悪あがきしていたほうが期待値が高いからデモに参加しないんだよ。

誰でも海外旅行に行けることはなくなるだろうし。

専業主婦なんかは、AMGみたいな物で。
成功者だけがトロフィーとして持つもので、一般人の世界では存在するわけがない。

階級は固定化して。

ちょっと前の中国みたいになるって事だよね。

今の年金受給者のように、年金で毎年海外旅行なんかありえない世界だと思うよ。

正義とはなにかと聞かれれば。

正義とは、損得と勝負のふるいで勝ち残った価値観。

男性が美人で巨乳で若い子が好きなように。

それは、そのような教育を受けたからではなく。
生まれた時からそのようにプログラミングされているんだよ。

それと同じ。

教育のレベルじゃなくて、損得と勝負のふるいで勝ち残った価値観を正義として認識するように人間は生まれた時からプログラミングされていると思う。











「先進国生まれ」という既得権益を守るためのデモ
http://news.livedoor.com/article/detail/5945387/
あちこちの先進国で、格差反対デモが起きています。ちきりんが滞在中のローマでも先週土曜に大規模なデモが起き、逮捕者だけでなく死者まで出たとのこと。かなり大規模な騒動だったようです。(今は平穏に戻っています。)

“アメリカンドリーム”とやらを誇っていた国で格差反対デモが始まったり、グローバリゼーションが大嫌いな、日本の“デモ好きな人達”が、グローバル・デモに同調しているのも興味深いことに思えます。

その一方で、イタリアを旅行中のちきりんが今回やたらと目にするようになって驚いたのが、「インド人の団体旅行客」です。

今までも“海外旅行をするインド人”には、よく出会いました。でも、その多くは、超リッチなファミリーや一流ビジネスマンで、彼らは個人旅行や家族旅行をしていたのです。

こういう人たちが免税品店でブランドものを買う様子をみていると、ちきりんよりよほどお金持ちに見えたし、下手をすると「家に象を飼ってるでしょ?」みたいな人たちでした。

でも今、イタリア旅行を始めたインド人は、普通の服を着て、首からカメラをさげてきょろきょろしながら歩いており、その様子はまるで一昔前の日本の団体旅行客にそっくりです。

30人ほどのインド人が胸にバッチをつけて歩き、添乗員さんは傘や旗を頭上に掲げて先導し、あれこれ説明しています。そしてみんなで同じレストランに入って一斉に食事をするのです。

今回初めてそういった団体を“あちこち”で見ました。いよいよインドにも、「団体で海外旅行に行けるようになった中間層」がでてきたということを、ちきりんは初めてこの目で確認したのです。

★★★

今まで私たちは、日本に生まれたという事実だけで、食べるに困らない生活を保証されていました。頑張れば報われるし、海外旅行にも行けるようになるだろうし、未来は明るいものでした。

でも他の国には、その国に生まれたというだけで「海外旅行なんて一生あり得ない。」という人たちがたくさんいたわけです。

でも、これからは違います。インドの田舎で富裕層以外に生まれても、頑張れば家も車も買えるし、海外旅行だって夢ではなくなりつつあります。一方で、たとえ日本に生まれても、海外旅行なんて夢のまた夢、みたいな人も増えてきます。

これまで、格差は「国と国の間」にありました。それは南北問題とも呼ばれていました。けれど今、「国と国の格差」は急速に縮小しつつあり、「個人と個人の格差」に置き換えられようとしています。

これは、今まで「“先進国生まれ”というだけで幸せな生活と将来への希望が約束されていた人たち」には受け入れ難いことかもしれません。

そういった先進国に生まれたことの“既得権益”が、もはや得られないとわかったために、今、先進国のあちこちで、そのことへの抵抗運動(デモ)が始まっているというわけです。

興味深いのは、このデモが「格差に反対するデモ」と呼ばれていることです。「トップ1%にしか希望のない世界はおかしい!」と彼らは叫びます。

しかし彼らの多くは、つい最近まで(先進国に生まれたという理由で)世界で最も恵まれたグループに属していた人たちです。

彼らが格差解消を叫ぶ時、そこには「先進国の底辺としての自分」と「より恵まれた人たち」だけが存在しており、過去ずっと存在していた「自分より圧倒的に恵まれていない人たちと、自分との格差」は意識されていません。(後者の格差は今、どんどん解消されつつあります。)

先進国で連鎖する「格差に反対するデモ」を、発展途上国の人たちはどんな思いで見ているのでしょう?

繰り返しになりますが、経済のグローバル化は、世界における「先進国と発展途上国」という境界線を無くし、代わりに別の境界線を引こうとしています。

これにより「先進国の市民という既得権益」もしくは「先進国生まれという既得権益」を剥奪されそうになった人たちが、世界中で抵抗を始めているのです。

デモをする人たちはいったい、誰と誰が平等になる世界を夢見ているのでしょう?

そんじゃーね。

「私が恋愛できない理由」と「蜜の味」

この2つの恋愛ドラマは。

本で言えば。

「私が恋愛できない理由」が恋愛ハウツー本。

「蜜の味」はエロ小説。

当然、個人的には「蜜の味」の方にしか興味が沸かない。

どちらも一話目を見て思ったんだけど。

香里奈って凄くブスだし、 なんでこんなのが女優やっているんだろうって思ってドラマに集中できない。

大島優子って普通に可愛いね。
彼女の演じる奥手の処女役を演じられているかは疑問だけど。

合コンで、香里奈、大島優子、吉高由里子、稲森いずみがいたら。
鉄板で大島優子にいくわ。

一流女優に囲まれて、ド素人が可愛いと思わせるだけで大したもんだと思うよ。

個人的な意見で申し訳ないけど。

榮倉奈々みたいな、色気のないブスって大嫌いなんだけど。

こいつも香里奈と同じで誰もファンじゃないけど、事務所の力でやっている感満点じゃない。

でも榮倉奈々演じる医学部学生はなかなか色気があって良いよ。

菅野美穂って何でこんな顔になっちゃったんだろうな。

演技とは言え、気持ち悪くなるレベル。

吾郎ちゃんが悪いのかね?

こんなの書いてないで仕事しろって声が聞こえてきそうだけどね。

内田樹的な考え方について思うこと。

前のブログで書いたように、この世に正義などなく。

損得と勝負しかないと思っている僕にとっては。

天賦の能力は「同胞のため」に用いるべきもの。

自分にたまたま与えられた天賦の資質は共有されねばならない」という「被贈与感」。

というような内田樹が言っている世界のほうが、トップ1%しか希望がない世界より上品だとは僕でも思うけど。

天賦の才を同胞のために使う集団が、トップ1%しか希望がない集団に勝つしかないんだと思うんだけど。

でも結局負けるよね。

それが社会主義国家が資本主義国家に負けた理由だよね。






http://blog.tatsuru.com/2011/10/18_1255.php

格差と若者の非活動性について
ある媒体から若者の労働観についてアンケートを受けた。
みじかい回答を期待していたはずだが、やたら長くなってしまったので、たぶんこのままでは掲載されないだろう。
自分としてはたいせつなことを書いたつもりなので、ここに転載して、諸賢のご叱正を乞うのである。
Q1.現在、世界では、経済格差(世代間格差ではなく、金持ちとそうではない人との格差)や社会への不満に対して、多くの若者たちが声を上げ、デモを起こし、自分たちの意見を社会に訴えようと行動しています。翻って日本ではここ数十年、目に見える形での若者の社会的行動はほとんど見られません。これだけ若者たちにしわ寄せが行く社会になっているのに、そして政策的にも若年層に不利な方向で進んでいるのに、若者たちはなぜ、社会に対して何かを訴えたり行動したりしないのでしょうか? それは特に不満を感じていないからなのか、それともそうした行動に対して冷めているのか。あるいは社会的に連帯するという行為ができないのか。ネットにはけ口が向かっているだけなのか。内田さんはどのようにお考えでしょうか? 
マルクスの『共産党宣言』の最後の言葉は「万国のプロレタリア、団結せよ」でした。革命を呼号したパンフレットの最後の言葉がもし「打倒せよ」や「破壊せよ」であったとしたら、マルクス主義の運動はその後あのような広範なひろがりを見せたかどうか、私は懐疑的です。マルクスの思想的天才性は、彼が社会のラディカルな変革は「なによりもまず弱者たちが連帯し、団結するところから始めなければならない」ということを直観したこと、最初のスローガンに「戦え」ではなく、「連帯せよ」を選択した点にあると私は思っています。
今の日本の若者たちが格差の拡大に対して、弱者の切り捨てに対して効果的な抵抗を組織できないでいるのは、彼らが「連帯の作法」というものを見失ってしまったからです。どうやって同じ歴史的状況を生きている、利害をともにする同胞たちと連帯すればよいのか、その方法を知らないのです。
それは彼らの責任ではありません。それは私たちの社会がこの30年間にわたって彼らに刷り込んできた「イデオロギー」の帰結だからです。
彼らが教え込まれたのは「能力のあるもの、努力をしたものはそれにふさわしい報酬を受け取る権利がある」「能力のないもの、努力を怠ったものはそれにふさわしい罰を受けるべきだ」という「人参と鞭」の教育戦略です。数値的に示される外形的な格付け基準に基づいて、ひとに報償を与えたり、処罰を加えたりすれば、すべての人間は「報償を求め、処罰を恐れて」その潜在能力を最大化するであろうというきわめて一面的な人間観を土台とする、この「能力主義」「成果主義」「数値主義」が「弱者の連帯」という発想も、そのための能力も深く損なってしまった。私はそう考えています。
弱者たちの権利請求のうちに「能力のないもの、努力を怠るものと格付けされたものであっても、人間としての尊厳を認めるべきだ」という言葉はほとんど見ることができません。比較的戦闘的な反格差論者が口にするのは「バカで強欲な老人たちが社会的資源を独占し、若者たちは能力があり、努力をしているにもかかわらず格付けが低い。これはフェアではない」というものです。それは「能力がなく、努力もしていない人間は(老人であれ若者であれ)低い格付けをされるのは当たり前だ」という「イデオロギー」に対する暗黙の同意を言外に含んでいます。彼らは連帯を求めているわけではなく、「社会のより適切な能力主義的再編」を要求しているのです。
ですから、「フェアネス」を求めている若者たちのうちの一人がたまたま社会的上昇を遂げた場合に、成功者した若者には「いまだ社会下層にとどまっている仲間」を救う義務は発生しないということになります。だって、彼が成功したという事実からして、社会の能力主義的格付けは「部分的には正しく機能している」からです。若者たちの多くは格差に苦しんでいるけれど、一部の若者は成功している。そして、成功した若者たちはそれをまったくの偶然だとは思わず、「きわだった才能を見落とさないほどには社会的な格付けは機能している」というふうに判断している。はなやかな社会的上昇を遂げた「勝ち抜け」組は自分たちが「勝ち抜け」したという当の事実から推して、階層下位に釘付けにされた若者には能力や努力が足りないからだという結論に簡単に飛びついてしまう。
私たちの社会においては、若者たちの集団を組織し、思想的に教化指導し、政治目標を設定できるレベルの知的能力をもつものは「システマティックに社会上位に釣り上げられる」。そのようにして若者の連帯は制度的に不可能にされている。それが僕の見方です。

Q2.そもそも、賃金の低さや高い失業率(正社員になれないことも含め)、世代間の不平等などについて、今の若者たちはどのように感じているのでしょうか。怒り?あきらめ?それともあまり関心がない?あるいは別に不自由していない? 
Q1の答えにある通りです。世代間の不平等については激しい発言をする若者たちも、同世代間に発生している格差については押し黙っている。それは能力主義的な思想が彼らに深く内面化しているからです。若者たちは資源配分のアンフェアに怒っているのではなく、「(それなりの能力をもつ)私に対する評価がフェアではない」という点について怒っているわけです。だから「能力のある人間が抜擢され、無能な人間が冷遇されるのは当たり前」という格差を生み出す発想そのものには異議を唱えていない。
ご質問にお答えするなら、世代間の不公平については「怒り」を感じ、同世代間の不公平については「あきらめ」を感じ、そのような社会的不備の原因を質し、解決策を講じるということについては「無関心」を感じている、ということになると思います。
繰り返し言うように、私はそれが彼らの責任であるとは思っていません。そのような「イデオロギー」を刷り込んだのは社会全体の、あえて言えば、私たちの世代の責任です。ですから、私たちの世代は、それを「解毒」する社会的責任を負っている。それが日本社会の急務だろうと思います。
格差が進行している最大の理由は「社会上層にいる人間たち」がその特権を自分の才能と自己努力に対する報酬であり、それゆえ誰ともわかちあうべきではないと信じ込んでいる点にあります。
能力や努力(できる能力)というのははっきり言って先天的なものです。「背が高い」とか「視力がよい」とか「鼻がきく」というのと同じ種類の天賦の資質です。それは天からの「贈り物」です。自分の私有物ではない。だから、独占してはならない。
能力というのは「入会地」のようなもの、みんなが公共的に利用するものです。それがたまたまある個人に「天が授けた」。
だから、背が高い人は高いところにあるものを手の届かない人のために取ってあげる。眼の良い人は嵐の接近や「陸地が見えた」ことをいちはやく知らせる。鼻のきく人が火事の発生に気づいて警鐘を鳴らす。そのようにして天賦の能力は「同胞のため」に用いるべきものなのです。
19世紀まで、マルクスの時代まで「団結せよ」という言葉が有効だったのは、マルクス自身が自分の天才を「天賦のもの」だと自覚していたからです。その稟質を利用すれば、マルクスならドイツの「既成制度」の中で、政治家や法曹や大学教授やジャーナリストとしてはなやかな成功を収めることだってできたはずです。でも、マルクスはそうしなかった。自分のこの「現世的成功確実な頭の良さ」を苦しむ弱者のために捧げなければならないと思った。それは倫理の問題というよりは、「能力とは何か?」という問題についての答えの出し方の違いによるのだと私は思います。マルクスは自分の才能を「万人とわかちあう公共財産のようなもの」だと見なしていた。それはたぶん遠い淵源をたどれば、一神教的な人間観に基礎づけられたものでしょう。

Q3・内田さんはかつて「下流志向」のなかで、「働かない若者たち」について指摘されました。「働かない」結果としての低賃金(あるいは格差といってもいいかもしれません)があるとすれば、なぜ、そのような若者が生み出されていったのでしょうか? なぜ、若者は働かなくなったのでしょうか。それは社会構造としてそうなってきているのでしょうか、それとも若者の考え方、精神構造の変化によってそうなっているのでしょうか?
最初の質問とも関連しますが、なぜ、若者は、そうなってしまったのでしょうか? 
若者が働かなくなったのは「努力すれば報償が与えられる」という枠組みそのものに対する直感的な懐疑のせいだろうと思います。「みんなが争って求めている『報償』というのは、そんなにたいしたものなのか?」という疑念にとらえられているのです。一流大学を出て、一流企業に勤めて、35年ローンで家を建てて、年金もらうようになったら「蕎麦打ち」をするような人生を「報償」として示されてもあまり労働の動機付けが高まらない。努力すれば「いいこと」があるよ、というタイプの利益誘導の最大の難点は、示された「いいこと」がさっぱり魅力的ではないという場合に、誰も努力しなくなってしまうということです。
私たちの社会は利益誘導によって学習努力、就業努力を動機づけようとしてきました。それが作り出したのがこの「働かない若者たち」です。
人間は自己利益のためにはあまり真剣にならない。これは多くの人が見落としている重大な真実です。
自己利益は自分にしかかかわらない。「オレはいいよ、そんなの」というなげやりな気分ひとつで人間は努力を止めてしまう。簡単なんです。
人間が努力をするのは、それが「自分のため」だからではありません。「他の人のため」に働くときです。ぎりぎりに追い詰められたときに、それが自分の利益だけにかかわることなら、人間はわりとあっさり努力を放棄してしまいます。「私が努力を放棄しても、困るのは私だけだ」からです。でも、もし自分が努力を止めてしまったら、それで誰かが深く苦しみ、傷つくことになると思ったら、人間は簡単には努力を止められない。自分のために戦う人間は弱く、守るものがいる人間は強い。これは経験的にはきわめて蓋然性の高い命題です。「オレがここで死んでも困るのはオレだけだ」と思う人間と、「《彼ら》のためにも、オレはこんなところで死ぬわけにはゆかない」と思う人間では、ぎりぎりの局面でのふんばり方がまるで違う。
それは社会的能力の開発においても変わりません。自分のために、自分ひとりの立身出世や快楽のために生きている人間は自分の社会的能力の開発をすぐに止めてしまう。「まあ、こんなもんでいいよ」と思ったら、そこで止る。でも、他人の人生を背負っている人間はそうはゆかない。
人間は自己利益を排他的に追求できるときではなく、自分が「ひとのために役立っている」と思えたときにその潜在能力を爆発的に開花させる。これは長く教育現場にいた人間として骨身にしみた経験知です。
でも、「こんな当たり前のこと」をきっぱりと語る人間は今の日本では少数派です。圧倒的多数は「人間は競争に勝つために徹底的にエゴイスティックにふるまうことで能力を開花させる」という、(今となっては、ウォール街以外では)十分な経験的基礎づけを持っていない「イデオロギー」を信じている。
日本の若者が非活性的なのは、「自己利益の追求に励め。競争相手を蹴落として社会上層に這い上がれ」というアオリが無効だったからです。  
「連帯せよ」とマルクスは言いました。
それは自分の隣人の、自分の同胞をも自分自身と同じように配慮できるような人間になれ、ということだと私は理解しています。そのために社会制度を改革することが必要なら好きなように改革すればいい。でも、根本にあるのは、「自分にたまたま与えられた天賦の資質は共有されねばならない」という「被贈与感」です。そこからしか連帯と社会のラディカルな改革は始まらない。
今の日本社会に致命的に欠けているのは、「他者への気づかい」が「隣人への愛」が人間のパフォーマンスを最大化するという人類と同じだけ古い知見です。

ソフトバンクとAUのiPhoneのどちらが良いか悩んでいる貴方に

僕は2年間東京都内で、ソフトバンクのiPhone3GSを使っていた。

今は、AUのXPERIAを使っている。

よく特集をやっている、ソフトバンクの方が理論的にはスピードが早いけど。

混雑時にはAUの方が通信は安定しているってのを信じちゃ駄目。

それは嘘ではないけど、都内でもソフトバンクのiPhoneでは圏外になることが一杯ある。

例えば、飲食店とか。

あるいは、個人宅ではトイレとか。

その点、AUは立派だと思う。

都内で電波が立たなかった事が一度もない。

スマートフォンの命は、速さではなく繋がることだよ。

僕はもうAndroidにしているから、iPhoneには興味がないけど。

でもこれから考える人には言っておきたい。

値段の差がなければAUの方が絶対に良い。

風邪が治ったと思ったら

また違う風邪を引いた。

これって、息子を装ったオレオレ詐欺に引っかかった老人が。

今度は、孫を装ったボクボク詐欺に引っかかったようなもんかな。

つまり、お前は若くないんだから体調管理を気をつけろって話なんでしょうかね。

TTPでのポジショントークについて

TTPが日本にとって本当に得か損かどうかを理解している政治家って一人もいないんじゃないのかな。

それを理解できる人間って、基本的は官僚組織の人間が総力を上げて協力しあってしか分からないと思うけど。

彼れの賛成、反対は自分たちの省益になるかならないかで。

決して日本にとっての損得じゃなくて、何何省にとっては損得しか考えないと思う。

TTPに対する発言すべてが、ポジショントークとしか思えない。

日本医師会はTTPに反対のボジションだけど、日本医師会は開業医の利益団体だから。

俺のような末端の勤務医とは必ずしも利害関係が一致しない。

でも数学の問題を別の全く違う方法で解くのと同じで。

アメリカが日本をTTPに入れようってことは、TTPに参加することは日本の金がアメリカに流れるってことだよね。

俺のような頭の良い人間は、自分にとってTTPが得なら日本全体にとっては損でもTTP賛成のポジショントーク全開にするんだけど。

自分にとっても損得が分からず、日本全体にとってはまず損の可能性が高いんだったら。

俺はTTPには慎重にってポジションだな。

Androidが今その性能を発揮してきた

Androidの使い方を完全に理解した。


慣れるまで時間がかかったな。


前の日記で書いたように、Androidは結構敷居が高いと思う。


でも、その高い敷居を超えた後は。


iPhoneとは違った楽しい世界が待っていた。


例えれば。


未成年の時に吸ったタバコとか、飲んだ酒の味がする。


コンプライアンスの外側にある楽しみ。


そうです。


Androidの魅力は何と言っても、野良アプリ。


野良アプリというのは、アンドロイドマーケットではコンプライアンス上問題があって削除されたアプリが堂々とダウンロード出来るのです。


iPhoneのような箱入り娘も良いけど、元ヤンでナンバーワンキャバ嬢みたいな感じもまた楽しいって感じです。


野良アプリを使いこなしてこそ、Androidの醍醐味を味わえる。


ちなみに僕のオススメの野良アプリは。


定番過ぎますが。


TubeMate

youtubeがAndroidに保存できます。


Music junk

無料のMP3がダウンロードし放題。


あと、電話の着信拒否が出来るってのもありがたい。


iPhoneがAndroidに駆逐されるかは分からないけど。


でも、使いこなせる人間にとってはもう既にAndroidはiPhoneより上だと思う。


女子供はiPhone。


男は黙ってAndroid。


Androidは何者でiPhoneは何だったのか

2週間以上もブログを更新してなかったんですね。

なんちゃってドクターの僕にしては、最近忙しかったのです。

ところで愛用のiPhone3GSが、iPhone5の発売までもたずにお亡くなりになり。

仕方なく、新しいスマートフォンを購入することになりました。

いろいろ調べたのですけど、最後は直感で。

AUのXPERIA acroが僕の新しい相棒になったわけです。

まだ少ししかXPERIA acroは使い込んでいませんけど。

Androidは何者で、iPhoneは何だったのかと感想を書いてみますね。

Androidを使ってみて、改めてスティーブ・ジョブズが如何に偉大だったのかが分かります。

iPhoneとitunesの世界は、本当に調和の取れた美しい世界です。

一方、Androidマーケットの使いにくさと言ったら。

笑っちゃうレベルです。

ソニーエリクソンのXPERIAで、パソコンとの連携で使うMedia Goの完成度の低さは。

何でソニーはアップルに負けたのか?

これは負けるねって感じです。

多分、GalaxyとかXPERIAを使っている人たち(特に女性は)はAndroidの機能を殆ど使いこなしていないと思う。

僕の周りでもAndroidを使いこなせずに、ギブアップしている女性たちって結構多いです。

メールとネットぐらいは使えてるみたいですけどね。

それって、金持ちのおばちゃんが近所の買い物しか車を乗らないのにAMGに乗っているようなもんだよね。

Androidも使ってくると結構愛着が湧いてきて。

XPERIA非公式マニュアル
http://someya.tv/xperia/

あと思ったことは、Androidを買うなら絶対にGalaxyかXPERIAが良いと思う。

それ以外にレグザフォンとかアクオスフォンとかは止めたほうが良いと思う。

ネットで使い方を調べるにしても情報が少ないし、カバーなどの種類も少ないし。

docomoとAUの両方から出ているXPERIAだけど。

何でAUにしたかというと、ヤマダ電機のタイムセールで縛り無しの機種代がタダ。
(docomoだと5万の機種代がから1万五千円のみバック)

毎月の割引も1800円だったし。

すごくお買い得だった。

恋愛も結婚も機種変も。

大切なのは、タイミングっすね。
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