テレグラフ紙は「スーパーラグビーの参加国のすべてが、財政面でサンウルブズにてこ入れをしていた。まだ未開拓のアジア市場からの収入を増やしてくれると期待していたからだ」「2シーズンから3シーズン後には、日本の大手企業各社の後援を得て、サンウルブズが独立した持続可能な組織になってくれればと思っていた。しかし、そうした状況には至っていない」と報じている。


ラグビーでワールドクラスで活躍するのは、日本人には体格的に無理だったんだな。

今更ですが、学生時代の早明戦全盛時代がやっぱり一番面白かった。

ジャパンラグビートップリーグが企業名をつけて活動しているから、スーパーラグビーのスポンサーになるメリットがほとんど日本企業にはないからね。


秩父宮ラグビー場と神宮球場が交換されるみたいね。
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新ラグビー場がへんな場所に追いやられることになってしまった。

伝説が一つなくなってしまうのも残念。
関東ラグビー協会は、昭和22年頃から新しい専用ラグビー場を建築すべく、候補地捜しをしました。そのような中、明治大学出身で協会理事であった伊集院浩 氏が見つけてきた土地が、現在の秩父宮ラグビー場、当時女子学習院の焼け跡で、アメリカ軍の駐車場になっていたこの地でした。香山蕃理事長(当時)の戦災火災保険金と各大学OBの浄財等によって、建設資金のめどがつき、ラガーマンの汗の勤労奉仕が加わり、昭和22年11月「東京ラグビー場」が完成しました。
「その集めた資金は血のにじむような尊い結晶でありました。あるものは時計やカメラ、またあるものは家のじゅうたんを売ってひたぶるに自分たちの心のふるさとをきずきあげようという情熱に燃えた。工事が始まったある日、雨のふるなか秩父宮様がこられご病身をかえり見ずゴム長ぐつを履かれて励まし下され、鹿島の関係者に“ラグビー協会は貧乏だからよろしくたのむ”と頭を下げられました。私は流れる涙をこらえることが出来なかった」と後日、香山氏は毎日新聞の中で感動的に綴っています。

泣ける逸話でしょ。

おわり。