なんでルールに文句を言うんだ?前提編

なんでルールに文句を言うんだ?パート1

なんでルールに文句を言うんだ?パート2

なんでルールに文句を言うんだ?パート3

なんでルールに文句を言うんだ?パート4

「プロセスではなく勝ちに拘れ」
これは、「最終的に勝っていれば問題ない」とも解釈してよいですか?最後っていつだよって話になるかもしれないですが。


上記のようなコメントを貰った。

確かに色々な解釈ができるなと思ったのが今回のブログを書こうとした理由。

「勝ち」ってなんだよとなると確かに難しい。

東大や医学部に入ったら勝ちなのか?

一流企業に入ったら勝ちなのか?

出世したり、教授になったら勝ちなのか?

金持ちになったら勝ちなのか?

女性だったら結婚したら勝ちなのか?

子供を産めば勝ちなのか?

玉の輿に乗って子供を産んでこそ勝ちなのか?

子供の時は親から勉強をしていい大学に入り、いい会社に入るのが幸せになる方法だと教育を受ける。



俺の理解では(正しいとは言ってませんが)、親からの相続を期待しない人生ではある程度の大学から年収1500万ぐらいを目指すのが再現性や期待値が高いと思っている。

上記が世の中の基本ルール。

勿論、低級奴隷が高級奴隷になる方法論であることは事実だと思うけどね。

俺が「プロセスではなく勝ちに拘れ」 と書いたのはもっとゆるい意味で。

自分らしくとか、夢を追いかけるとかそういう中途半端なことではなくて、基本的なレールから外れないようにすることを基本として。

勿論考え抜いた末にレールから外れることは非常に良いことなんだけど、そこには思いというか勝算があってはじめめてやることではないかと思ってね。

俺はゆるい人間だから説教臭いことは言わないよ。

例えば医者と結婚して専業主婦になりたいという女子高生がいたとして。

医者と結婚するには自分が医者になるのが一番確率が上がると逆算、医学部に入ったとして。

もし予定通りゆるふわ女医になれる男性医師と結婚できたとしたら、中途半端なキャリアを継続するよりは子供を連続して3人、4人産むことが「プロセスではなく勝ちに拘れ」という意味だよ。

実家は太くないけど自分自身はアカデミアの世界で生きていこうと決めた男子高校生がいたとして。

医者になるつもりはないし臨床医になるつもりも毛頭ないけど、女医と結婚して女医に働いてもらって自分は研究に打つこむためには医学部に入るのが一番再現性が高い方法論だと思ったとして。

多少器量が悪くて多少デブな女医だとしても、結婚してあげて母親としても、女性としても、女医としても役割を果たす機会を提供してあげることこそが、「プロセスではなく勝ちに拘れ」という意味だよ。

良い研究者になろうと思ったら、家事を手伝ったり子育てを手伝ったりする必要はないの。

稼ぐことを含めて嫁である女医にワンオペでやらせればいいだけの話。

まあセックスをやったり、話を聞くぐらいはやったほうが良いとは思うけどダルいよな。

セックスをしなくても、話を聞かなくてもアカデミアの世界で年齢に応じた実績やポジションを得ていけば女医から離婚しようとは言われないよ。

それも世の中の基本ルール。
最も強い者が生き残るのではなく、
最も賢い者が生き延びるのでもない。
唯一生き残るのは、変化できる者である。

とダーウィンが言ったのは後世の人間の捏造であって、ダーウィンが言ったのは下記らしいよ。

稼ぐ者が離婚しないのではなく、美しい者が離婚しないわけでもない。唯一離婚しないのは変化できる者だけであるとね。

「プロセスではなく勝ちに拘れ」とは変化しろ、対応しろって意味です。

令和はじめてのブログになるます。

令和になっても「整形外科のゆる医ブログ」を宜しくお願いします。

おわり。