学校のみならず、家庭でも例えば、「自分がやりたい職業の年収はいくらなのか」「どんな働き方をしたいのか」「どこに住むのか」「結婚するのか」「子どもは欲しいか」「いつまで働くか」「老後はどういう生活を望むのか」「長い人生で何をしたいか」といったことを、子どもが考える機会を持つことは必要である。

そのうえで、自分が希望する人生にはどれくらいお金がかかるのかや、どれくらい過不足があるのか、というのは電卓さえあれば簡単に導き出せるはずだ。

これらを時系列で考えるのがライフプラン設計である。この結果、もっと稼ぐ必要性があるのかどうか、子どもは何人まで育てられそうか、家は購入するか賃貸にするか、買うなら予算はいくらにすべきか、老後にはいくら必要か、などが見えてくる。

お金を得る方法は投資だけではない
ここまで来てようやく、お金が足りないなら投資を1つの選択肢として加えることになる。もちろん、投資だけが選択肢ではない。お金を得るには一生働き続ける、ダブルインカムなど世帯における働き手を増やす、玉の輿にのる……といった方法がある。


金のことを話すことは汚いってのは日本の文化的な部分はあるんだけど。

でも小学校は兎も角、中学生ぐらいになったら「自分がやりたい職業の年収はいくらなのか」は自分で調べさせるのはありだと思うよ。

消防士になりたいと思って、35歳でどの程度の年収になるのかを調べる。

結婚して子供を持つつもりがあれば、地元でマイホームを買う場合の家の価格をアットホームで調べる。


消防士の給料じゃ、自分が思っているようなマンションが買えないことが分かれば、結婚相手にも働いて貰える人が良いとか分かるし。

自分の母親と同じ専業主婦が良いなら、もっと稼げる職業になりたいと思うか、マンションのグレードを下げるとかの選択をすれば良い。

消防士の退職は何歳なのか?

退職金は幾らになるのか?

年金は今の水準では幾ら貰えるのか?

その上で、将来的には少子化の影響で年金受給が減りそうだから幾らぐらいになりそうだとかを予想して。

投資が必要かと思ったり。

消防士ではなく副業がやれる職業が良いのではないかと再検討したり。

そうすることによって、親への感謝だったりが生まれたりしてね。

俺は小学生ぐらいからお金が汚いなんか思ったこともないよ。

お金が汚いではなく、お金に汚いって言われるけどね。

おわり。