およそ100万平方メートルの斜面に幅1メートルほどの路地が迷路のように入り組み、2万軒近い家に10万人とも言われる住民が暮らす。30平方メートルもない狭い家に住むのは平均して5人ほど。中には10人以上が暮らす家もある。家々は密集し、窓を開けても換気しにくい。感染者が出れば、すぐに広がってしまう。

大統領のボルソナーロが新型コロナを「ちょっとした風邪だ」と軽視する姿勢を見せた時、ホドリゲスは住民たちに信じないように訴え、外出を控えるよう呼びかけ続けてきた。だが、「ここでは、完全な外出自粛なんてできません。みな、暮らさなければならないから」。


ブラジルに対して感じることと言えばサッカーが強いぐらいで。

それ以外は余り考えることもない。

だけど新型コロナウイルスの感染者、死亡数がアメリカに次いで世界第二位って報道を見かけるたびに。

こんなクソのような国に移民するぐらい貧乏だった日本って国はどんな感じだったんだろうとか。

ブラジルのようなクソのような国に移民していった日本人はどんな苦労をしたんだろうかと涙が出そうになるな。


そして、1908年(明治41年)4月28日、ブラジルへの移住を決めた契約移民781名を乗せた笠戸丸が神戸港から出発しました。1ヶ月半もの間、ここから船酔いと暑さの中で船に揺られ、6月18日の早朝ブラジルのサントス港に入港しました。ちなみに、この6月18日はブラジルでは「日本移民の日」とされて、さまざまな記念行事が開催されます。その後、以降の約100年間で13万人もの日本人がブラジルに移住し、現在では約160万人の日系人(2世、3世を含む)が住んでいると言われています。


まだ100年も経っていないんだね。

それも驚くしかない。

100年のスパンというのはこんなにも残酷なんだね。

100年後の日本はブラジルへの移民を決めたときのように貧しくなっている可能性も十分にある。
農場主達からもらう賃金はごくわずかで、コーヒーを収穫するときに使う軍手なども買うことができずに、素手で作業を行っていたため、手のひらはボロボロの血だらけになるのです。休憩もろくに取れず、仏壇にに手を合わせるときも、食事をしながら同時に子供に授乳もしていたそうです。

100年後にこのブログを読めるかは分からないけどもし読むことが出来たとしたら。

歴史は繰り返したんだと思ってるかもしれないな。

歴史を変えることは出来なくても、自分の子孫は奴隷にならないように今生きている自分自身が出来ることをやってあげる。

そんな感傷に浸ってしまいました。

おわり。