女性が精神的に自立することは、《結果として日本社会の中での「女らしさ」という社会通念的な枠組みからは、はみ出していくことになる》からだ

日本社会では強い女性は往々にして男性から敬遠されがちで、それゆえ女性アスリートが結婚や出産を望んでもなかなか相手が見つからないと指摘する

「自分より優秀な女性、強い女性を女として見れない」問題ね。

ちなみに俺の世代だと余裕でこんな感じだったわ。

「自分より優秀な女性、強い女性を女として見れない」のではなくて「自分より優秀な女性、強い女性を女として脳内で認識しない」

オッサン世代あるあるで。

「女は使えない」、「仕事の出来る女を今までの人生で見たことも出会ったこともない」という男性がいて。

「〇〇さんはどうなの?」と聞かれると。

「〇〇さんは女じゃないから」

当たり前だけど〇〇さんは女性だからね。

このオッサンも別に嘘をついているのではなく自然とそう思っているだけ。

オッサン世代の他人への評価をチャート式で表すと。

仕事が出来るか出来ないかでまずはチャートが分かれるから。

その後は男性女性の分かれるチャート部分があるんだけど。

自分より仕事が出来る人間に対しては男女のチャートが発動しない。

俺がフェリス系女子に対してアンチのスタンスでいることについて。

なにか嫌な記憶があるのか?とか。

フェリス系女子に今までしてきた行為へ懺悔なの?とか。

色々言われるんだけど。

俺はフェリス系女子を下げたいのではなくて。

優秀な女性、強い女性を上げたいんだよね。

医学部の同級生の女性とかも彼女たちの頑張ってきた人生を考慮したらもっと幸せになるべきだと思ったし。

俺の母親も優秀な女性だったんだけど俺の父親のようなレベルの低い男じゃなくて。

もっといい男と結婚できたら良かったのにと今でも思うからな。

その場合は俺は生まれていないけど。

俺は優しい人間だから努力をして結果を残した人間は絶対に幸せになるべきだという思いがあるんだよ。

「多少ブスでも女医にしておけ」と良く書くけど。

これは私立女医への応援歌ではなく、多少ブスな国立女医への応援歌なの。

「努力をして結果を残した人間は絶対に幸せになるべきだという思い」と言うのは俺が努力をしたけど報われなかった人生への嘆きでもないよ。

俺自身は遺伝子ガチャの当たりの方で。

努力もほぼしていないし。

非道徳的な方の人間だけど。

結構幸せに生きてきた。

人生の勝因がラッキーだけだという懺悔の気持ちは多少はあるのが俺の良心。

おわり。