彼女たちは子宮の声を聞くという大義名分を掲げ、好きに生きても人生が上手くいくと考える自己啓発集団です。

15年頃から“子宮を大事に”と説く書籍や女性器に入れるパワーストーンを宣伝し、セミナーで女性からの人気を得るようになりました。

結論として子宮系女子とは女性の幸せを手に入れることが出来なかったフェリス系女子の成れの果てじゃないのかね。

子宮系女子の男性版が中高年ひきこもりニート。

別にディスっているのではなくよ。


「女性向けスピリチュアルとそれに傾倒する女性」という現象を、「個人の問題」ではなく、「社会の問題」としてとらえる視点が不足している点である。スピリチュアルに傾倒する人に対し、「愚かだから/弱いからそんなものにすがりつくのだ」というジャッジを下すのは簡単だ。しかし、こう問うことはできないだろうか。「社会の何が、彼女にスピリチュアルを選択させたのか?」。


現代社会では必ず一定数のそれも決して少なくない数の子宮系女子やひきこもりニートを作り出す構造があるよね。

その上で日本は個人主義のアメリカと違ってムラ社会と言うか、助け合い社会と言うか。

アメリカなら子宮系女子もひきこもりニートも問題にならないと思うんだよね。

ひきこもりニートの生活を支える親の年金、財産がなくなったら、その時が彼らの人生の終わり。

子宮系女子も自分の食い扶持が稼げなくなったときが人生の終わり。

そういうのがオレ個人としては一番シックリくるんだけど。

でも日本では子宮系女子もひきこもりニートも社会がそのまま見捨てることは出来ないでしょ。

金も出すけど口も出すのが日本式だし。

金も口も出さないのがアメリカ式だし。

国の余力がなくなってくる日本において、子宮系女子やひきこもりニートの人生の終盤をどうするか問題は結構な大問題になると思っている。

その時に社会はどんな対応をするのかね?

生活保護の生活水準をどの程度にする問題と同じだけど。

日本人は完全に見捨てることはないだろうから、老健のように集団管理システムに収束するのかな。

そんな未来を予想します。

おわり。