放浪してたので彼の快挙をリアルタイムで見ることが出来なくて殘念。


iPS細胞について馬鹿医者の俺が説明することはないんだけど。


タイトルが教育だから、それを考慮してブログを読んでもらいたいのです。


彼は医学部卒の初めてのノーベル医学生理学賞受賞だね。

同じ医者として本当に嬉しいな。

同じラグビー部だったこともね。


今でもよく語り継がれる都市伝説に、理系の最優秀層が医学部に入るのが日本国衰退の原因ではないかと言われています。


それは確かに都市伝説でなく現実だと思うけど。


でも東大医学部卒や京大医学部卒がノーベル医学生理学賞クラスで最有力になることは聞いたことがなかった。


話は少しずれるけど、野口英世にノーベル医学生理学賞を取ってもらいたかったな。


神戸大医学部はもちろん最難関校の一つだけど、青色発光ダイオードの中村修二氏もそうだけど。


もう東大も京大も湯川秀樹氏とか江崎玲於奈氏のような輝きがある時代じゃないんだな。


小柴昌俊氏は国策ノーベル賞だもんね。


ウィキペディアで面白いと思ったのは、山中教授の面白いところはエリートには違いないんだけど普通の整形外科が20分で出来る手術を2時間かかり点滴も下手で邪魔者扱いされ臨床医を追われて研究者になり。


アメリカ留学後に戻ってきた日本のポストでうつ状態になり、臨床医に戻ろうと思ったり。


奈良先端科学技術大学院大学とか京大にポストを得てからは経済大国日本の予算も大いにノーベル賞に貢献したんだろうな。


今回の山中教授の受賞で思うことは。


医学の進歩なんか結局のところ、レントゲンと抗生剤を見つけた所がターニングポイントだったんだけど。


彼のiPS細胞は医学をまた別次元に持っていくターニングポイントなんだよね。


でも彼ほどのスーパースターでも人生紙一重だね。


手術が下手じゃなければその辺で整形外科の開業医になっていたかもしれないしね。


それと中高と同級生の皮膚科の妻と二人の医学部の子供。


先進国じゃドンドン人間の品種改良が進んでるよね。


頭が良くて、運動神経が良くて、顔が良いグループと。


それ以外とのグループと。


海外に行ってフルーツを食べると同じフルーツでも甘くない。


それが日本の独自の品種改良によるものだけど、それが日本人でも行われているってね。


人生は生まれた時に殆ど誤差範囲で決まってると思っている派だけど。


それをひっくり返す人たちには本当に尊敬する。


山中教授もそうだし、サッカーの香川もそうだけど。


まあ、単なる妬みかな。(´Д`)



山中 伸弥(やまなか しんや、1962年(昭和37年)9月4日 - )は、日本医学者京都大学iPS細胞研究所所長・教授カリフォルニア大学サンフランシスコ校グラッドストーン研究所上級研究員、奈良先端科学技術大学院大学栄誉教授。大阪市立大学博士 (医学)文化功労者。「成熟細胞が初期化され多能性をもつことの発見」により[1]2012年ノーベル医学生理学賞を受賞することが発表されている。

経歴 [編集]

生い立ち〜学生時代 [編集]

大阪府東大阪市出身。小学校時代から大学一回生まで、奈良県奈良市学園前に居住[2]。父親は工学部を出て、ミシンを作る町工場を経営[3]

大阪教育大学教育学部附属高等学校天王寺校舎時代、父から医師になることを勧められたが、将来の進路に迷っていた際に、徳田虎雄徳洲会理事長)の著書『生命だけは平等だ』を読み、徳田の生き方に感銘を受けて医師になることを決意したという[4]。中学高校から大学2年まで柔道、大学3年からはラクビーをし[5]、高校時代に柔道二段を取得。中学3年では生徒会副会長も務めた(その時の生徒会長は参議院議員の世耕弘成[6]。2011年現在はマラソンを趣味とし、奈良先端大時代は毎朝構内をジョギング、京都大学に移ってからも鴨川沿いを昼休みに30分走る[7]

臨床医志望から研究者志望へ [編集]

神戸大学卒業後、国立大阪病院整形外科で臨床研修医として勤務。学生時代柔道やラクビーで10回以上骨折するなど怪我が日常茶飯事だったため整形外科の道を選んだが、他の医者が20分で終わる手術に2時間ほどの時間が掛かったり、点滴に失敗するなどし、指導医からは、「お前は「やまなか」ではなく、「じゃまなか」や」と怒鳴られ邪魔者扱いされ、「向いていない」と痛感したという[8][9]。重症になったリウマチの女性患者を担当し、患者の全身の関節が変形した姿を見てショックを受け、重症患者を救う手立てを研究するために研究者を志すようになった[10]

iPS細胞の研究 [編集]

すぐに新しいことをやりたくなる飽きやすい性格であるといい[11]、整形外科の仕事を単調に感じてしまったこともあり、病院を退職、1989年に大阪市立大学大学院に入学。山本研二郎が教授を務めていた薬理学教室で、三浦克之講師の指導の下、研究を開始。当初はいずれ臨床医に戻るつもりだったという[8][9]。指導教官の三浦は、非常に優秀ながら時間を効率的に使い、適当な時間になると研究を切り上げ帰宅していた、誰にでも好かれるさわやかな性格だった、と述懐する[12]。論文"Putative Mechanism of Hypotensive Action of Platelet-Activating Factor in Dogs"(「麻酔イヌにおける血小板活性化因子の降圧機序」)を提出し、博士 (医学)の学位を取得。しかし、学位取得後は、どうやったら人の3倍研究できるかを考えて研究に従事。ほとんど寝ないでで研究を行うことも多く、ハードワークでは誰にも負けない自信があったという[13]

科学雑誌の公募に片っ端から応募し、採用されたグラッドストーン研究所へ博士研究員として留学。トーマス・イネラリティ教授の指導の下、iPS細胞研究を始める。

その後、帰国して日本学術振興会特別研究員 (PD) を経たのち、日本の医学界に戻り、岩尾洋教授の下、大阪市立大学薬理学教室助手に就任。しかし、その研究環境の米国との落差に苦しむ。米国と異なりネズミの管理担当者がおらず、ネズミの管理に忙殺され、またすぐに役立つ薬の研究をしなかったため「やまちゅう」と呼ばれ、周囲の理解を得られず、半分うつ病状態になった[8][9]。 基礎研究を諦め、研究医より給料の良い整形外科医へ戻ろうと半ば決意した中、科学雑誌で見つけた奈良先端科学技術大学院大学の公募に「どうせだめだろうから、研究職を辞めるきっかけのために。」と考え、応募したところ、採用に至り、アメリカ時代と似た研究環境の中で再び基礎研究を再開した。奈良先端大では毎朝構内をジョギングして、体調管理に努めた[14]

2003年から科学技術振興機構の支援を受け、5年間で3億円の研究費を得て、研究に従事。研究費支給の審査の面接をした岸本忠三は「うまくいくはずがないと思ったが、迫力に感心した。」という[8][9]。奈良先端科学技術大学院大学でiPS細胞の開発に成功し、2004年(平成16年)に京都大学へ移った。2007年8月からはカリフォルニア大学サンフランシスコ校グラッドストーン研究所上級研究員を兼務、同研究所にかまえた研究室と日本を月に1度は往復して、研究を行う[15]

iPS細胞の開発 [編集]

2006年(平成18年)8月25日学術雑誌セルに京都大学再生医科学研究所教授である山中と特任助手だった高橋和利(現、講師)らによる論文が発表された。論文によると山中らはマウス胚性繊維芽細胞に4つの因子 (Oct3/4, Sox2, c-Myc, Klf4) を導入することで ES細胞のように分化多能性を持つマウス人工多能性幹細胞(iPS細胞:induced pluripotent stem cell)を確立した。

2007年(平成19年)11月21日、山中のチームはさらに研究を進め、人間大人皮膚に4種類の発癌遺伝子などの遺伝子を導入するだけで、ES細胞に似たヒト人工多能性幹(iPS)細胞を生成する技術を開発、論文として科学誌セルに発表し、世界的な注目を集めた[16]

また同日、世界で初めてヒト受精卵から ES細胞を作成したウィスコンシン大学教授のジェームズ・トムソンも、山中のマウスiPS細胞生成の研究成果を基に、人間の皮膚に発癌遺伝子などの4種類の遺伝子を導入する方法でヒトiPS細胞を作製する論文を発表した[16]

これらの功績により、韓国ソウル大学校教授黄禹錫の論文捏造によって一時停滞していた幹細胞研究が、一気に進むことが期待されている。アメリカ合衆国大統領ジョージ・W・ブッシュは、研究が発表された2007年11月21日、すぐさまウィスコンシン大学研究に支持を表明するなど世界中で注目を集めた[17]。日本も、2007年11月23日、5年で70億円を支援することを決定した[18]

iPS細胞の研究資金募集 [編集]

2012年(平成24年)3月11日の京都マラソンで山中教授自身が完走することを条件に iPS基金へ寄付を呼びかけたところ、金額は1000万円以上の寄付が集まった。マラソンは4時間3分19秒で完走した[19]。なお山中教授の研究グループには2007年度から2011年度の研究予算として少なくとも6億円以上が日本学術振興会より拠出されている[20]

家族 [編集]

中学・高校の同級生で高校1年時から交際していた皮膚科医の妻との間に、医学部に通う娘が2人いる[21]。ミシン部品の製造会社を経営していた父は58歳で亡くなった[22]。ノーベル賞の受賞に際しては、81歳になる母に受賞を報告できてよかったと述べた[23]。 ノーベル賞の受賞は洗濯機の修理中に電話を受けた。

経歴 [編集]