久しぶりの日記です。


教育の限界を語る上で、まずは女性の美貌と、男性の100m走を想像してください。


160センチで80キロのデブの女性が、もし50キロや45キロにダイエット出来たら。

それは人生が変わることもあります。


しかし、もしこの女性が35キロまでダイエットしたらどうでしょうか?

この女性は45キロとか50キロの時より、より多くのメリットを享受出来るでしょうか?

拒食症で死にかけている女性以外は、誰も35キロの方がメリットが多いとは思わないでしょう。


次は男性の100m走。

この男性はもう成人だと思ってください。就職氷河期時代の今。

この男性の就活の成否は、100m走の結果に全部依存すると仮定して。


この男性は自分の人生が決まるかもしれない大事な時期。全知全能をかけて努力を重ねました。

そして、タイムは100mで12秒ジャスト。

この男性は、その後あと1年、10年を努力と続けたとしてこれ以上タイムは上がるでしょうか?

11秒を切ることがあるでしょうか?むしろ年齢と共にタイムが低下する可能性の方が高い。


何が言いたいかといえば、限界についての概念です。


ここで教育に戻ります。


東大に入りたい、医者になりたい、 弁護士になりたい。

そう思ったところで、努力をしないでもなれる人もいれば、努力をしてなれる人もいて。

そして努力をしてもなれない人が存在します。


当たり前ですね。定員があるわけですから。


最近は、早期教育だとか、教育バウチャー制度だとか、無限の可能性だとか。

鳩山総理のような宇宙人のようなことを仰る人がいますが。


当然、教育にも限界があります。

まあ、多くの国民はわかってるのでしょうけど、婚活中の行き遅れた女性のように認めたくないのでしょうけど。


次に個人でなくて国家として考えてみます。

個人としての教育の限界がある以上、当然国家としての教育の限界が存在します。


日本国としてのその考察が全然ないのは何ででしょうか?


東大を目指した高校3年生。小学校3年から日能研に通い、中高一貫校に在学中。

中学、高校と公立に通い、部活に熱中した高校3年生。


どちらも偏差値が同じなら、どっちが伸びシロが大きいかは一目瞭然です。


ここで僕が言いたいのは、日本国はもう十分頑張ってきた中高一貫校の生徒と同じだといいたいのです。


日本国に教育による伸びシロは殆どないのではないかと。

伸びシロない生徒を親が尻を叩けば、金属バットで子供に殴られるし。

伸びシロがない国民を国家が尻を叩けば、学級崩壊が起こります。


限界の概念が理解出来てないために、今の日本には多くの悲劇、喜劇が起こってます。