「○○銀行」の銀行員であることに誇りを持てるのでなければ、銀行員人生は厳しい。
 また、銀行員は徹底的に「序列の生き物」であり、彼らの価値観にあっては「人事が万事」だ。人事に熱心で、肩書きを喜べる人でないと、銀行の競争に向かない。
 人事評価によって、いつどんな地位でどんな仕事ができるかが決まるし、最終的に到達できる地位、銀行にいられる期間、将来の出向先のグレード、将来貰える年金の額など、人生のほぼ全てが左右される。

さすがは山崎元ちゃん。


金融日記のドラマ『半沢直樹』の感想 ―銀行員たちは何を賭けて戦っているのか?

http://blog.livedoor.jp/kazu_fujisawa/archives/51977154.html

も合わせて読むと良い。


でもやっぱり銀行員は糞だと思うな。


白い巨塔じゃないけど、医局もそんな感じだったけど。


東大などの旧帝大の医局ならまだかつての白い巨塔の世界が残っているかもしれないけど。


地方の駅弁医科大学の教授なんか糞みたいなポジションだよ。


銀行員を目指すなら、東京三菱UFJ銀行か三井住友銀行が良いんじゃね?


日本の2大銀行で高い序列を保てると思う人材だけがいけば良いと思うけどな。


昔はそれ以外でかつ兵隊要員でも、高給、安定した雇用、社会的ステータスがあったから家族で人生を賭けても納得感があったのかもしれないけど。


東京三菱UFJ銀行、三井住友銀行以外で高給、社会的ステータスを維持できるとは到底思えない。


高給じゃなく、社会的ステータスも高くなく、仕事内容は糞。


止めた方が良いと思うな。


おわり。




http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130814-00000001-gendaibiz-soci


TBSのドラマ「半沢直樹」(日曜日、21時から)が大評判だ。8月11日に放映された第5話では、29%(ビデオリサーチ調べ。関東29%、関西29.5%)もの高視聴率を叩きだしたという。

 主人公の堺雅人の演技力と、人物設定の面白さがヒットの原因だろうが、このドラマは「銀行」を舞台としており、銀行の組織、銀行員の仕事と生活が詳細に描かれている。
 人事が命の次に大事だったり、形式張った会議が多かったり、旦那の役職が奥さんの人間関係にも影響したりといったサラリーマン経験のない視聴者から見ると、非人間的で「奇妙な職場」に見えるかも知れないが、概ね実際の銀行と銀行員がリアルに表現されているといっていい。

 このドラマを見て、「銀行で働くなんて、とんでもない」と思う若者がいてももちろんおかしくないが、一定割合の若者は、かえって銀行を志望するようになるのではないだろうか。ある種の若者は、ドラマ中の銀行員達が露骨に示す組織へのプライドを自分も所有したいと思うはずだからである。


*** 不向きな人が就職すると人生で回り道をすることも ***
 筆者は、仕事柄、就職前の大学生と接触する機会が時々あるが、就職希望について問うと、「金融を考えています。たとえば、銀行とか」と答える学生が少なくない。銀行に就職できると、親や親戚からの評価はもちろん、仲間内の評価も概ね高いようだ。

 しかし、就活の勝利と、職業人生の成功とが、必ず結びつくとは限らない。端的にいって、銀行に不向きな人が銀行に就職すると、人生で回り道をすることになったり、潜在的な力を発揮できずに人生を終えたりする心配がある。
 他方、社会に銀行というビジネスが必要であることは疑いようがない。誰かが、銀行で働いてくれなければ困る。



 銀行員には以下のようなタイプが向いている。

(1)勉強が嫌いでないこと
(2)ストレスに強いこと
(3)肩書きが好きであること

 金融業全般にいえることでもあるが、特に銀行では、融資先の業界や企業について調べる必要があるし、新しい制度や商品、金融市場などについて、継続的に知識を仕入れて仕事をする必要がある。
 学ぶべき対象は、経済、法律である場合もあるし、担当する業務によっては技術的な知識が必要な場合もある。また、銀行は書類をベースに仕事が進むので、書類作成が苦にならない文章力や表現力が必要だ。端的にいって、記述式の試験答案を書くのに苦労するような学生が銀行に就職すると苦労する。
 学校の勉強が直接役に立つ訳ではないが、成績は一つの目処になる。学業成績の悪い学生は、銀行を目指さない方がいい。

 ストレスに強いことは、どの職場でも重要だが、銀行に於いては格段に重要だ。お金を扱う仕事なので、顧客の理不尽、上司の理不尽に耐えつつ、安定して仕事をこなさなければならないし、組織の締め付けは厳しい。人事評価が一生にわたって影響するので、特に、上司に逆らうことは難しい。


*** 支店長に反抗的な態度をとることは現実の銀行ではあり得ない ***
 ドラマの中で半沢直樹は、会議中にあからさまに支店長に反抗的な物言いをしているが、ああいうことは、現実の銀行ではあり得ないと思った方がいい。

 また、他人に耐える種類のストレス耐性の他に、自分のやりたいことをせずに我慢したり、言いたいを言わずに我慢したり、といった「しないことの我慢」に対するストレス耐性が必要だ。



 世間を眺めてみると、こうした理不尽や我慢を、さほどのストレスとは感じずにこれらと付き合って、十分気分転換できる人もいるし、職場に嫌なことが一つでもあるとこれが気になって仕方がないストレスに弱い人もいる。

 これは、能力というよりは、性格の問題だ。この種のストレスは我慢できないが、能力があって、仕事がよくできる人もいる。こうした人は、自分で会社を興すなり、もっと自由な業界で働いたりする方がいい。
 勉強は「勉めて、強いる」と書くが、学業成績のいい学生は、つまらない科目でも自分に勉強を強いることができたわけで、ストレス耐性の点でも成績は銀行員適性の尺度になる。


*** 肩書き好きは「人事が万事」の銀行員向き ***
 肩書きが好き、というのは、所属組織やその中での自分の地位について、素直にプライドを持つことが出来る人という意味だ。「○○銀行」の銀行員であることに誇りを持てるのでなければ、銀行員人生は厳しい。
 また、銀行員は徹底的に「序列の生き物」であり、彼らの価値観にあっては「人事が万事」だ。人事に熱心で、肩書きを喜べる人でないと、銀行の競争に向かない。
 人事評価によって、いつどんな地位でどんな仕事ができるかが決まるし、最終的に到達できる地位、銀行にいられる期間、将来の出向先のグレード、将来貰える年金の額など、人生のほぼ全てが左右される。

 「半沢直樹」の第五話で、本部の営業第二部への栄転が決まった半沢の妻に対して、社宅の他の行員の妻達の見る目が変わるシーンが出て来たが、銀行員は、家族も巻き込んで、人事に全てを賭けて生きている。
 同期が100人いれば、銀行員人生をスタートした時点で既に、1番から100番まで評価の序列があると思っていい。この序列は、その後の仕事ぶりの評価や、人間関係などに伴う加点・減点で少しずつ動くが、この序列の持ち点こそが銀行員の財産だ。



 銀行の人事は、人事部によって中央集権的に管理・決定されている。人事部は、全行員の財産を管理しているといっても大袈裟ではない。かつて、第一銀行と勧業銀行が合併して第一勧業銀行が出来たが、合併後にも、20年間以上二つの人事部が並立していた。簡単に混ぜるわけには行かなかったのだ。

 銀行員に、同じ銀行の他の銀行員について質問すると、その人の、出身大学、年次、現在のポスト、それまでの経歴、出世の具合(同期の何次選抜で課長待遇になったかなど)について、淀みなく答えが返ってくるのが常だ。率直にいって、ブランド価値の低い大学から銀行に入ると、出身大学が一生重荷になる公算が大きい。

 銀行員は、銀行員以外のビジネスパーソンに対して、自分が銀行員であり、勤める銀行の行員であることを根拠にした優越感を持っている。
 ただ、この優越感には、自分の勤める銀行よりもグレードの高い銀行に勤める銀行員に対して、ほぼ無条件に劣等感を持つという弱点を抱えている。単純にいって、地銀の行員は、メガバンクの行員に対して、劣等感を持つ。強すぎる序列意識の副作用といっていいだろう。


*** 役員候補以外は50歳前後で第一線から外れる ***
 銀行に入る場合、銀行自体の序列と、銀行の中で自分が獲得できるであろう序列とを、冷静に分析し、選択する必要がある。
 筆者の学生時代に、大手の都銀に入ることが出来る所属ゼミと成績を持ちながら、敢えて、信託銀行を選んだ同級生がいた。彼は、「この銀行でなら、自分は十分な競争力を持てる(=高い序列を確保できる)」と考えたのだった。

 銀行という職場は、良い人材を多数抱えて、これを無駄に使っているように見える。
 20代の頃は自由時間を奪って大いに我慢をさせて、30代から40代前半にかけて本格的に仕事をさせるが、役員候補ないしはその少数のライバルを除き、大半の行員が50歳前後で出向させられる。簡単にいうと、第一線から外れるのであり、そのことを組織から宣告され、それが、人事の形に表れるのだ。人材の利用という点では、余力のある時点で使い捨てされる。



 しかし、二度目、三度目の出向まで銀行が面倒を見てくれるし(収入は更に下がることが多いが)、その後には手厚い年金も貰える。そして、人事はこれらの全てに影響するのだから、銀行員が組織としての銀行に逆らうことは容易ではない。
 尚、ドラマ「半沢直樹」では、「出向」が銀行員人生の終わりを意味する惨事であるかのように描かれていて、これを世の出向した元銀行員とその家族がどのような気持ちで見ているかは、少々気になるところだ。

 もっとも、出向して、銀行員でなくなり、年収も何割か減るとはいえ、出向先があることは銀行の強みであり、銀行の力が出向先のグレードに表れる。端的にいって、メインバンクとしての取引先を多数持っている銀行は、いい出向先をたくさん確保できる。サブ・メイン以下の銀行は人を送り込むほどの影響力を持てないことが多い。


*** 銀行における出向像は変化する可能性がある ***
 但し、筆者の希望も込めていうなら、銀行における「出向」像は、将来変化する可能性がある。出向した行員が、出向先の経営を改善するなどの実績を上げて、人事評価を上げて、再び銀行の要職に舞い戻るといったケースが頻繁にあるようになっていいのではないか。
 モチベーションの低い「終わった人」は受け入れる側でも迷惑だし、銀行にとって出向先の経営への関与が重要な案件が今後増えるだろう。「出向も一つの出世コースだ」という人事の道を作る必要があるのではないか。

 さて、銀行の仕事のスタイルに馴染むことが出来て、ストレスを強くは感じず、自分に似つかわしい「序列」にプライドを持てるなら、若者が銀行員になることを止めようとは思わないが、これから銀行に入る若者に、是非心に留めて置いて欲しいことが一つある。

 それは、「転職の可能性を常に念頭に置くこと」だ。



 銀行を含む金融の世界では、扱う対象がモノではなく、お金(実質的には情報)なので、勤め先を変えても仕事が出来る。金融業界は、他の業界に較べて転職が容易だ。

 証券や運用会社、あるいは外資系金融なども選択肢に入れて、自分が本当にやりたい仕事が何なのか、常に考えておきたい。幸い、30代の前半くらいまでであれば、銀行の人材に対する世間の評価はまずまず高いので、銀行を仕事のスキルを身に着け、人脈を作る場として利用する、と考えると、職業人生の可能性は大きく拡がる。

 他の銀行、あるいは外資系金融などでは、自分のスキルがどの程度通用するか、自分は金融業界人としてどのくらいの評価を得られるか、ということは、行内での人事序列とは別に常に考えておきたい。


*** 銀行はますますガラパゴス化していく ***
 但し、転職を考える場合、「次の人事で昇格できなければ、転職しよう」といった、銀行の人事に対して受動的な態度でものを考えない方がいい。チャンスは、自分に都合のいいタイミングで巡ってくるとは限らない。銀行の中にいると、どうしても行内の「人事が万事」という気分になってしまうが、世界はもっとダイナミックに動いている! 

 最後に、「半沢直樹」で描かれているような銀行の世間から乖離した異様な企業文化が今後どうなるのかだが、筆者は、これが解消されるよりは、いわば「ガラパゴス化」して、もっと先鋭化するのではないかと予想している。
 世間からズレた集団が、そのズレのゆえに、「純化」の方向に向かうことはよくあることだ。この予想は、当たるかどうか保証の限りではないが、銀行を目指す若者は、そうなった場合の覚悟を持って銀行に入り、立派な銀行員になって欲しい。