この2つのブログを読んで感じたことがあるんだけど。

東大や京大や国立医学部が、どんな貧乏でも奨学金で卒業できる環境は必要だと思う。


でもMARCHレベルの大学を奨学金を貰って行くのって意味あるのかね?


MARCHレベルの大学を卒業した人生と、大学を行かない人生では大違いなのは間違いないと思う。


その差は、本人の能力差ではなく親の経済力の問題なのかもしれないけど。


人生なんてそんなもんじゃね。


そこまで政府がやることじゃないような気がする。


大学、高校などの教育関係者がアピールするある種の貧困ビジネスだよね。

http://ameblo.jp/randtkikaku/entry-11631842523.html


本人に適性があれば、参考書だけで東大や国立医学部は簡単に入れると思う。


中卒東大一直線って感じのタイトルのノンフィクションがドラマになったのを見たけど、大学入試だけが目的なら高校に行かないで自宅で勉強したほうが能率が良いんじゃないの。


中高一貫教育の手厚い授業ってのを経験したことがないけど、公立高校の授業なんかよりは有名な参考書のほうがどれ程役に立つのかわからない。


今はないのかもしれないけど、「前田の物理」とかは感動した記憶があるからな。


参考書だけで東大合格レベルまで行けないのは、経済力の問題というよりは本人の素材の問題。


頭が悪いってことだと思う。


昨日のサッカーの日本代表はダメダメだったね。


香川も本田も人一倍努力したんだろうけど、彼らが凄いのは結局適性があっただけだよね。


適性がないところで頑張っても辛いだけだと思うよ。


おわり。







大学授業料免除はどこまで拡げられるか

こういった措置は評価に値するが、決して十分とは言えない。たとえば、東大は親の給与所得が400万円以下なら全額免除という措置を取っているが、他の国立大学でも同様の施策を実施してほしい。少なくとも国立大学に通えるくらいの努力をすれば、家庭の経済事情で進学をあきらめるようなことがないように保障すべきだ。

http://anond.hatelabo.jp/20130903002317

この人、自分と同じ高校の出身だろうか。少なくとも高校に関して書いてあることは全部一致しているので、似たような環境で育ったことは間違いない。高校時代は学年最下位クラスの落ちこぼれだったが、東大・京大クラスの大学には入れた。大学でやった予備校のバイトで、「MARCHは夢」という世界を目の当たりにして驚いたところまで一致している。

昔、高卒で派遣社員の彼女と付き合った。お互いにグルメ好きだったので意気投合し、バラエティ番組とか、お笑い芸人とか、密度の濃い友人関係とか、今まで全く知らなかった世界に驚き、毎日のできごとの一つ一つが新鮮だった。が、まじめに結婚を考える段になると、子供の教育とか、未来像が全く描けなかった。

結局、その彼女と別れて、同じような学歴の今の妻と結婚した。それまで彼女とは学歴のことなど問題になったことがなかったけれど、あらためてそのことを指摘されて複雑な気持ちになった。それでも、子供の教育方針では良くぶつかる。今から考えても、高卒の彼女と結婚することは考えなくて良かったと思う。

上のリンク先の記事を書いた人との、考え方の違いの最大の原因は、学歴に対する見方の違いだと思う。おそらく、自分の能力に本当に自信がある人間は、学歴をあってもなくても良いものだと思っている。未来には無限の可能性があると信じていた大学時代の自分もそう思っていた。

ただ、実際働いてみると、学歴がないと、高度な仕事を与えられる機会が激減するということがわかった。学歴があるから、仕事の機会が与えられ、成長することで、次の仕事の機会が与えられる。大学卒業/大学院修了直後から、このサイクルを高回転させられる人と、下積みから初めて、ふるいにかけられ、それで初めて高度な仕事が与えられる人とでは、10年後20年後のキャリアの違いは歴然としている。卓越したコミュニケーション力+技術力 or 体力でもあれば別だが、そうではない自分のような一般人は資格とか学歴に頼るしかない。特に自分の業界では取得困難な資格はなく、プロジェクトの効率が、「一番頭の悪いメンバー」に依存することから、採用側から見ても、学歴は非常に重要だ。

MARCHも難しいと考えている子供の前で、「東大なんか入って当たり前」と言い放って、子供を追い込んでしまうような親にはなりたくないけれど、自分と似て、ちょっぴりコミュニケーションが苦手であろう子供には、それを克服して、グローバル社会を楽しむ方法を見つけてほしいと思っている。新興国の労働者と競争しつつ、上司に媚びず、客に媚びず、体を壊すこともなく、自分の成長を感じつつ、楽しく仕事をするための、有力な方法が、学歴だし、少なくとも自分はそうだったわけだから、結婚相手の学歴は無視できない。大学生の自分には、こんなことは理解できなかっと思うけれど、今はそう思っている。

そういえば、小学生の頃の自分は、なぜか、貧しい女の子が王子様と結婚するというストーリーの小説を良く読んでいた。そして、「王子様になって、貧しくてかわいい女の子と結婚するんだ」というよく分からん夢を描いていた。増田で言われている「高学歴の世界」を王子様にたとえるのは趣味が良くないが、少なくとも、「自分と違う社会階層の女性と結婚しない」という、物語の王子様と正反対の選択をしたことには変わりないだろう。

友達と話していても、似たような話は良く出るから、多くの似たような環境で育った人間が、同じような判断をすると思う。もちろん、そういう話はごく限られた友人でしか話さないから、表には出てこないけれど、実際にはそんな風に考えている。だから、自分から高学歴の彼と別れた元増田の判断は正しかったのではないかと思う。少なくとも本人が傷つきたくないという気持ちをかなえるためには・・・。

社会の問題と個人の問題は違う。

この問題について言えば、多くの社会調査が示す通り、学歴は再生産され、社会の階層は固定化されている。そしてこのことは、長期的な社会の安定の維持のために大きな問題であり、これを回避するためには、奨学金の充実が必要という意見があるかもしれない。しかし、学歴の再生産が問題だから、異なる学歴の人との交際を継続しないといけないとか、した方が良いということにはならないだろう。

いくらそうやって自分を正当化したところで、あのときに彼女が流した大粒の涙は、頭から離れないけれど。