医療現場においても、1970年代初頭に、エリオット・フリードソンが医者と患者の権力関係を「パターナリズム」(医療父権主義、家父長的温情主義)として告発したことによって、パターナリズムが社会的問題として喚起されるようにもなった[5]。現在では「患者の利益か、患者の自己決定の自由か」をめぐる問題として議論され、医療現場ではインフォームド・コンセントを重視する環境が整いつつある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/パターナリズム

パターナリズムを重視する者の中には、「インフォームド・コンセントなど幻想に過ぎない」という意見も見られる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/インフォームド・コンセント

インフォームド・コンセントなんかはどうでも良いんですよ。

僕自身はパターナリズム派で、インフォームド・コンセント否定派なんですけど。

それに対して、インフォームド・コンセント派のドクターを批判するつもりはないし。

患者自身が、自分の利益よりも自分の自己決定権に価値を置くことも全然なんとも思わない。

でも医者になりたての頃は、こんな僕も実はインフォームド・コンセント派だったんだよね。

丁度、医者人生の半分を折り返したぐらいだから医者人生の最後ではまたインフォームド・コンセント派に戻るかもしれないけどね。

ここからが本題。

今の原発の問題を見ていると、かつてのインフォームド・コンセント論争を思いだす。

医者と患者という、圧倒的な医学的な知識差がある二つのグループと。

原発推進派(政治家や学者)と一般市民という、圧倒的な知識差があるグループと。

上手くいっている時は問題にならないけど、何かあれば患者も市民も。

医者や原発推進派は何か隠しているはずだと疑心暗鬼になるよね。

分かる気もしますが。

僕の中では、パターナリズムとインフォームド・コンセントの妥協点は。

僕の治療方針に従えない患者さんは、出来るだけ丁寧に他の病院に行ってもらう。

勿論、パターナリズムもインフォームド・コンセントも結果を保証するものではないので。

どっちが統計を取ると良かったのは分からないのですけどね。


原発再稼動への合意形成プロセスを提案する
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20110711/277222/?ST=business
大前研一ね。

「市民運動の論理」を強める菅首相の狙いは「8月の暑い日」
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20110622/275160/?ST=business
田原総一朗ね

この二つのブログは、今の原発問題を素早く理解できる。

欧州の原発のストレステストは、原発に飛行機が突っ込んっだらとかの項目があるんだよ。

市民運動家の菅総理が、ストレステストという言葉を出した瞬間に。

日独伊三国防共協定の復活じゃん。

分かる?

日本人が納得する、日本独自のストレステストの項目を作れば日本はそれをクリアーは出来ないって事。

もう日本の原発は止まるんだよ。

そして来年の夏も電力不足で、工場の移転により日本の雇用が失われる。

日本国が身の丈に合った、分相応の状態に戻るといえばそれまですが。

パターナリズムとインフォームド・コンセントの妥協で、患者に他の病院に行ってもらうことが出来たのは。

それは僕が人気のあるドクターで、その患者を引き止める必要がなかったから何だけど。

脱原発を選択する日本を脱出する能力のない僕は、パターナリズムとインフォームド・コンセントの間で他の病院に行ってもらうことも出来なかったドクターのような苦しみをこれから味わうってことですね。

能力がないなら我慢する。

という現実がこれからの僕を襲うのか。

今までのストックを運用することでその我慢を減らすか。

アジアの他国で働けるような能力をつけていくか。

どちらも面倒だな。

やっぱり、何も考えずに酒飲んで暮らすのが一番かな。