twitterというツールは意外と面白いと思う実例として。
内田樹
http://twitter.com/#!/levinassien
橋下知事
http://twitter.com/#!/t_ishin

「まったなし」を待っていただけないでしょうか。
http://blog.tatsuru.com/2011/08/30_0834.php

内田樹の言いたい事はただ一つ。

教育に、政治による介入は止めてくれ。

その介入が、橋下知事の教育の条例化のことなのは二人のTwitterを見ていると分かる。

内田樹の老人特有の気持ち悪さ、頭の悪さ何処から来るの考えみると。

彼はリスクを負ってないんだよ。

リスクとデインジャー(danger)で彼がブログで書いているものとしての、リスクではなくてね。

今僕が働いてる小さい病院でも、何をトチ狂ったか院長が橋下知事のような改革を始めて前からいる従業員と軋轢をおこいている。

何を争っているかは、ホリエモンが一世を風靡した時の企業は誰のものか論争だから。

ホリエモンは、企業は株主の物だと。
従業員は、企業は従業員の物だと。

同じように、院長は病院はオーナーの物だと。
職員は、病院は職員の物だと。

僕のポジションは、中小企業はオーナーの物なんですよね。

だって彼らは何かあった時に全てを失うリスクを負っている。

それに中小企業で働く人間は、大企業や公務員になれなかった敗者だからね。

話をリスクに戻して。

その「仕分け」が重要である。
だが、その基準をほとんどの人は「採算」で量ろうとする。
「採算がとれるもの」はよいもので、「採算がとれないもの」は廃絶すべきだというふうに考える。

「仕分け」をするとしたら、まずそれが採算を度外視して守るべき「社会的共通資本」であるのか、あるいは政治や市場のレベルに出来する(なくても別に誰も困らないもの)なのか、その見極めだろう。
例えば、教育の場合、そのアウトカムは数値的には考量不可能である(教育の制度的目的は「知性的・感性的に成熟した公民を作り出すこと」だが、ある人物が公民的成熟を果たしたかどうかは、卒後数十年待たないと判定できない)。

「人類学的な優先順位」のことである。


と内田樹は言っている。

彼の言っている事は結果的には正しいかもしれない。

でも彼の論理展開を認めると、すべての既得権益者にも言い分はある。

そして成果主義への反対論を認めることになる。

ここが重要なことですが。

それが若年層からの搾取になっているんだけど。

それが老人には分からないのか、分からないふりをしているか。

その点、橋下知事はリスクを負っている。

原発関連で、橋下知事の対応は馬鹿だとは思ったけど。

でもそれは、中小企業のオーナーが馬鹿な事をやっているのと同じで。
その頭の悪さに対するつけは、橋下知事と大阪府民が負うだけだしね。