今回のブログの内容は、多分男性医師同士でも話すことがない事を、僕自身の身近なリアルな実例と論理的考察によって導き出された驚愕の未来のお話です。

まず前提として、女性の人生プランは2つあると言うことです。

自分自身が輝くか、相手の光で輝くか。

自分自身が輝くってのは、所謂バリキャリなど、自分自身で収入を得る人生。

女優やソープランド嬢もこちら。

そして相手の光で輝くってのは、所謂専業主婦、配偶者控除内パート従業員。

どちらが上という話ではなく、少し前までは自分自身が輝く事が価値があるとさせていたけど、最近ではやっぱり女の人生はvery妻が勝ちなのよとシーソーゲームのように揺れ動いている。

そして非医者に今回のブログを理解してもらうために知っておいて欲しい事は新設私立医大一期生って順調に順調に行って今60歳ぐらいってこと。

杏林大学医学部(1970年(昭和45年)設置。地図)
北里大学医学部(1970年(昭和45年)設置。地図)
川崎医科大学(1970年(昭和45年)設置。地図)
帝京大学医学部(1971年(昭和46年)設置。地図)
東洋医科大学(1971年(昭和46年)設置。現聖マリアンナ医科大学。地図)
愛知医科大学(1971年(昭和46年)設置。地図)
埼玉医科大学(1972年(昭和47年)設置。地図)
金沢医科大学(1972年(昭和47年)設置。地図)
名古屋保健衛生大学医学部(1972年(昭和47年)設置。現藤田保健衛生大学医学部。地図)
兵庫医科大学(1972年(昭和47年)設置。地図)
福岡大学医学部(1972年(昭和47年)設置。地図)
獨協医科大学(1973年(昭和48年)設置。地図)
東海大学医学部(1974年(昭和49年)設置。地図)
近畿大学医学部(1974年(昭和49年)設置。地図)


北里大学現役一期生で留年なしで国試一発合格で63歳。
東海大学現役一期生で留年なしで国試一発合格で59歳。


私立医大じゃ、2浪3浪当たり前、2留3留当たり前、国試落ちるの当たり前って感じだから実際の年齢はもっと若いんだよ。

この少し後に、女医って増えたんだよね。

今の時代は知らないけど、この時代の女医さん達ってバリキャリ志向でなくて専業主婦志向なんだよね。

自分がバリバリ稼ぐつもりは毛頭なく、医師免許は時価5000万の嫁入り道具程度の感覚。

イメージするところは、西川史子先生。

美人で実家金持ち(開業医)でちょっと気が強い感じ。

まとめると40−50歳ぐらいの元美人お嬢様女医ってのがあるボリュームで存在しているんだよね。

彼女たちは国立女医のようなブスじゃないから、殆ど結婚したんだけど結構離婚してんだよね。

この辺で頭がいい人は話の展開が分かってくると思うけど、臨床能力が低いプライドだけが高い女医さんが臨床の現場にチラホラ戻ってきているんだよね。

あと10年もすると首都圏では相当なボリュームになると思う。

彼女たちの多くは病んでいくと思うな。


何でかというと、彼女たちは現代の専業主婦志向と同じだから女子力は非常に高いんだよね。

でも現実は三段腹のBBAでしょ。

それでも若くて可愛くて男性医師が甘やかしていた頃と同じ感じで接してくる。

気持ち悪いでしょ。

恐怖でしょ。

ブログの読者の先生たちはどう思います。

「先生ーーーー。これ教えてもらえますかーーーーー?」って50歳のBBAが寄ってくるんですよ。

ウザいでしょ。

外来だけならその高い女子力でどうにかなると思うんだけど、何をトチ狂ったのか病棟もやろうとする女医もいるんだよね。

同級生の結婚継続している女医さんとのマウンティングなのか知らないけど、「私は専業主婦志向の女医ではなく、バリキャリ志向の女医なのよ。」って言いたいんだろうな。

でもさ、バリキャリ志向も専業主婦志向もどちらでも良いんだけど。

どちらも一本道だよ。

20代の可愛い時代にタイムシフト出来て、臨床を頑張れば一人前に成れたかもしれないけど。

今更無理でしょう。

BBAのリアルお医者さんごっこに付き合わされる男性医師被害者増大するよ。

これから急激に増えるだろうメンヘラ予備軍女医さん達が、本来彼女たちが輝ける場所に上手く誘導してあげないと、メンヘラ女医の大量発生で医療崩壊加速するよ。

10年後にはシーソーゲームのように、女性自身が輝くことが賞賛されているよ。

女の人生は大変だ。

おわり。