ティーン雑誌の編集長になったことで、子どもが生まれてから半年以上、ほとんど家には帰っていなかった。雑誌の仕事がなくなってひさしぶりにアパートに戻ると、妻が思いつめた顔で「わたしも働きたい」といった。これまでの生活を考えれば、ぼくがなにかをいえる立場ではなかった。
自分自身にとってもバブルの記憶は大分あやふやになってきている。
ウィキペディアで調べてみると、1986年に始まり1991年に終わった。
俺の医学部入学と共にバブルは始まり、俺の卒業前にバブルは崩壊した。
高校の同級生が東京でバブルを謳歌しているとき、田舎で大学生をやっていることに凄く落ち込んだ記憶がある。
地方にある娯楽って、セックスだけしかないからね。
これが所謂、「都落ち」なんだとはじめて理解できた。
80年台のバブル景気の頂点は89年12月29日、東京証券取引所の大納会で日経平均株価が3万8915円の最高値をつけたときだった。年明けから株価は値崩れして10月には2万円割れまで暴落して「株バブル」は崩壊した。ただしその後も地価は上昇をつづけ、全国的な地価の下落がはっきりしたのは92年になってからだ。
バブルへのノスタルジーは置いておいて、次のバブル崩壊を僕たちの資産形成に繋げましょう。
noteを更新しました。
株価と地価の関係性
おわり。
コメント
コメント一覧
都市部のみにある娯楽ってどんなものですか?
私は大学とアパートの往復だけしかしない大学生だったので、東京でも田舎でも、生活は全く同じでした。
小説「医学生」では、秋田の冬の陰鬱さが何度も述べられています。結局、これが彼にとって、一番ストレスだったんじゃないか。
私が信州大学を10ヶ月で退学して、随分とブランクを経たのちに、三重大学に入学して、卒業できたのは、三重県の気候が温暖で過ごしやすかったからだと思います。弘前や山形だったらヤバかった。
僕がやりたかったのは、合コン、ディスコですかね。
勿論田舎ではやっていますが、東京の女子大生とやりたいし。
まあ、バブル当時は学生ですのでカネがないのでどの程度楽しめたかは疑問であることは確かですが。
その辺はまったく同感です。
大学バレしてしまいますが、僕も雪国なのでこれが結構ストレスでした。
絶対に雪国には住みません。
地元の彼女が出来てセックスしていると鬱っぽい感情もなくなってきたので、日光、セックスがその辺の対策には一番だというのはそれも同感です。