多くの研修医の時にオーベン(教育係)に言われることがある。


当直の時間帯で「骨折していない」とは断定するなと。


現実には骨折と打撲の間の骨挫傷みたいのも存在するし。


骨折していてもレントゲンでは分からないことがある。


でも、患者にしてみれば折れているか、折れてないのかを聞きに来るわけでしょ。


「折れているかもしれないし、折れてないかもしれない」じゃ医学的には正しいけど、その先生の外来はガラガラになるよね。


AかBかを断定出来るかは、その医者の力量を表しているわけではないんだけど。


AかBかを断定出来るかどうかが、その医者が稼げる医者かどうかは表しているんだよね。


力量と稼げるの違いが分かるのかどうか。


そういう意味において、チキリンの言っていることには俺は賛成なんだけど。


おわり。






http://blogos.com/article/74276/


私はブログでよく、「あたしの意見はこうだ!」と強く表明します。

それに対して、賛否両論いろんな意見が寄せられるわけですが、反対意見のうち、一番つまらないと思うのは、

「そういう場合もあるけど、違う場合もある」 とか

「人それぞれだと思う」

「一概には言えないはず」

みたいな反応です。

ちきりんが「Aだ!」といったときに、「いや違う、Bだ!」と言える人は、自分のアタマで考えてる人です。単に結論が違うだけ。

でも、たいていの人は、そこまで言えません。自分は何も考えていないので、あたしが「Aだ!」と言った時、「いや、Aではない!」としか言えないんです。

いわゆる「批判と否定しかできない人」ですね。自分の意見が無いから、他者の意見を否定するしかない。これもかなり恥ずかしいよねと思うけど、それでも下記に比べたらまだマシです。

一番つまらないのは、

「Aともいえるが、Bともいえる」

みたいな意見です。

それは、そもそも“意見”なのか? って感じです。だって、何一つ考えなくても言えるし、5歳の子でも言えるじゃん。

「大企業が合う人もいるし、合わない人もいる」

「学校が役にたつかどうかは、人によって違う」

そりゃーそうでしょ。

それって、「未来は明るいかもしれないが、暗いかもしれない」ってのと同じじゃん。「犯人は女かもしれないが、男かもしれない」とも同じ。

1秒も考えなくてもわかる。未来は明るいかもしれないし、暗いかもしれません。犯人は男かもしれないけど、女の可能性もある。そりゃーそうだろうけど・・

でも、それって言う意味あるの??

★★★

これから「自分自身でしっかり考えていきたい」と思っている人は、そういうことばっか言ってる人にならないよう、よくよく気を付けましょう。

最悪なのは、「Aの場合もあるが、Bの場合もある」とか言ってる本人が、「オレの意見は客観的だ」「自分は、『Aだ!』と言ってる人みたいに偏っていない」とさえ思ってたりすること。コレ、本当にタチが悪い。

それ、客観的なのではなくて、単に、

「決断できない人間である」

「選べない人間である」

「自分の意見を持てない人間である」

ってだけのことです。

自分の意見を持つ人にしか、自分の人生は選べない。決められない人は、自分の人生を生きられないんです。そしてもちろん、仕事上で価値が出せたりしません。

若い人が一生懸命考えて、「こうすべきだと思います! だって、消費者はこれを求めているからです!」と言ってきたとします。その案は稚拙かもしれないし、情報も未整備だし不足してるかもしれない。それでも、

「そういう消費者もいるだろうが、そうじゃない消費者もいる」

みたいなことを言う上司になるのは、ほんとーにやめた方がいい。「そうじゃない。消費者の求めているのはこっちだ!」と言えないなら、せめて「それは違う」くらいまでは言わないと。

「AともいえるがBともいえる」みたいなことばっかり言ってると、ほんとーに役立たない人になっちゃうからよくよく気を付けましょう。

(と、ここまで書いても、このエントリに対して「そうも言えるが、そうでない場合もある」とか言ってくる人が・・・3000人くらいは絶対いそう)

そんじゃーね