最近ボケまくっているチキリンおばちゃんにしては、今回のブログは良いじゃんね。

俺は常々思っていることがある。

世の中に、正しい事や悪い事。

つまり正義や悪ってのは存在しないと思っている。

世の中にあるのは、二つだけ。

損得と勝負(勝ち負け)だけ。


損得と勝負を考えれば、次の時代のルールは自ずと決まってくる。

「トップ1%にしか希望のない世界はおかしい!」は正しいかじゃなくて。

「トップ1%にしか希望のない世界」が損得と勝負のふるいで残ったんだよ。

あるいは勝ち残りの最有力候補。

99%と1%の戦いじゃ、99%が一見勝ちそうだけど。

でも、デモをする人たちって下10%ぐらいの人たちで。

上位2%から90%の人達って、納得できない「トップ1%にしか希望のない世界」を変えるより自分自身のためには「トップ1%にしか希望のない世界」の中で悪あがきしていたほうが期待値が高いからデモに参加しないんだよ。

誰でも海外旅行に行けることはなくなるだろうし。

専業主婦なんかは、AMGみたいな物で。
成功者だけがトロフィーとして持つもので、一般人の世界では存在するわけがない。

階級は固定化して。

ちょっと前の中国みたいになるって事だよね。

今の年金受給者のように、年金で毎年海外旅行なんかありえない世界だと思うよ。

正義とはなにかと聞かれれば。

正義とは、損得と勝負のふるいで勝ち残った価値観。

男性が美人で巨乳で若い子が好きなように。

それは、そのような教育を受けたからではなく。
生まれた時からそのようにプログラミングされているんだよ。

それと同じ。

教育のレベルじゃなくて、損得と勝負のふるいで勝ち残った価値観を正義として認識するように人間は生まれた時からプログラミングされていると思う。











「先進国生まれ」という既得権益を守るためのデモ
http://news.livedoor.com/article/detail/5945387/
あちこちの先進国で、格差反対デモが起きています。ちきりんが滞在中のローマでも先週土曜に大規模なデモが起き、逮捕者だけでなく死者まで出たとのこと。かなり大規模な騒動だったようです。(今は平穏に戻っています。)

“アメリカンドリーム”とやらを誇っていた国で格差反対デモが始まったり、グローバリゼーションが大嫌いな、日本の“デモ好きな人達”が、グローバル・デモに同調しているのも興味深いことに思えます。

その一方で、イタリアを旅行中のちきりんが今回やたらと目にするようになって驚いたのが、「インド人の団体旅行客」です。

今までも“海外旅行をするインド人”には、よく出会いました。でも、その多くは、超リッチなファミリーや一流ビジネスマンで、彼らは個人旅行や家族旅行をしていたのです。

こういう人たちが免税品店でブランドものを買う様子をみていると、ちきりんよりよほどお金持ちに見えたし、下手をすると「家に象を飼ってるでしょ?」みたいな人たちでした。

でも今、イタリア旅行を始めたインド人は、普通の服を着て、首からカメラをさげてきょろきょろしながら歩いており、その様子はまるで一昔前の日本の団体旅行客にそっくりです。

30人ほどのインド人が胸にバッチをつけて歩き、添乗員さんは傘や旗を頭上に掲げて先導し、あれこれ説明しています。そしてみんなで同じレストランに入って一斉に食事をするのです。

今回初めてそういった団体を“あちこち”で見ました。いよいよインドにも、「団体で海外旅行に行けるようになった中間層」がでてきたということを、ちきりんは初めてこの目で確認したのです。

★★★

今まで私たちは、日本に生まれたという事実だけで、食べるに困らない生活を保証されていました。頑張れば報われるし、海外旅行にも行けるようになるだろうし、未来は明るいものでした。

でも他の国には、その国に生まれたというだけで「海外旅行なんて一生あり得ない。」という人たちがたくさんいたわけです。

でも、これからは違います。インドの田舎で富裕層以外に生まれても、頑張れば家も車も買えるし、海外旅行だって夢ではなくなりつつあります。一方で、たとえ日本に生まれても、海外旅行なんて夢のまた夢、みたいな人も増えてきます。

これまで、格差は「国と国の間」にありました。それは南北問題とも呼ばれていました。けれど今、「国と国の格差」は急速に縮小しつつあり、「個人と個人の格差」に置き換えられようとしています。

これは、今まで「“先進国生まれ”というだけで幸せな生活と将来への希望が約束されていた人たち」には受け入れ難いことかもしれません。

そういった先進国に生まれたことの“既得権益”が、もはや得られないとわかったために、今、先進国のあちこちで、そのことへの抵抗運動(デモ)が始まっているというわけです。

興味深いのは、このデモが「格差に反対するデモ」と呼ばれていることです。「トップ1%にしか希望のない世界はおかしい!」と彼らは叫びます。

しかし彼らの多くは、つい最近まで(先進国に生まれたという理由で)世界で最も恵まれたグループに属していた人たちです。

彼らが格差解消を叫ぶ時、そこには「先進国の底辺としての自分」と「より恵まれた人たち」だけが存在しており、過去ずっと存在していた「自分より圧倒的に恵まれていない人たちと、自分との格差」は意識されていません。(後者の格差は今、どんどん解消されつつあります。)

先進国で連鎖する「格差に反対するデモ」を、発展途上国の人たちはどんな思いで見ているのでしょう?

繰り返しになりますが、経済のグローバル化は、世界における「先進国と発展途上国」という境界線を無くし、代わりに別の境界線を引こうとしています。

これにより「先進国の市民という既得権益」もしくは「先進国生まれという既得権益」を剥奪されそうになった人たちが、世界中で抵抗を始めているのです。

デモをする人たちはいったい、誰と誰が平等になる世界を夢見ているのでしょう?

そんじゃーね。